【紀元曙光】2020年1月8日

寅さんばなしの続編を書く。車寅次郎という、実際にはありえないキャラクターを映画という仮想世界に設定し、それが万民の目に触れたとき、大きな共感と感動をよぶ仕掛けは、一体何なのだろうか。
▼寅さんシリーズの第1作が作られたのは1969年。妹さくらの前に、長らく行方不明だった異母兄の寅次郎が突然現れる。この異星人の登場以来、柴又の「普通の人々」は翻弄されていくことになる。
▼ところが銀幕のドタバタを見ている観客は、いつしか「寅さんのほうが、もともとは正しいのでは」という不思議な感覚をもつ。そうした自身の「気づき」や「思い出し」、あるいは自分の中の「再確認」が安心につながり、観客は何とも幸せな気持ちになれるのだ。
▼寅さんとは、一個の伝統精神を具現化したものなのだろう。旅先で多くの美しいマドンナに出会い、本気で恋をする。もちろん、最後は見事にふられるのだが、どのマドンナからも、嫌われるどころか必ず感謝されるのだ。
▼そこには「困っている人を見捨てず、助ける」という車寅次郎の義侠心があり、相手に尽くす無私の愛があり、身を引いて節を守る武士道がある。寅さんのもつ伝統精神が、渥美清という名優によって演じられたとき、高倉健とはまた違った「かっこよさ」となって爆発するのである。
▼映画評論家の故・淀川長治さんが、生前こう言っていた。「映画をたくさん見なさい。映画は娯楽ではありません。教育なのです」。山田洋次監督の作品は、確かに、楽しい教材である。それはまさに観客の心のなかの伝統を、思い出させてくれるからだ。