天国と地獄 瞑想中にあの世を旅した僧侶の手記

人はどこからやってきて、死後はどこへ行くのか。魂は存在するのだろうか。古代から世界中で伝わっている「あの世」とはつまり、天国地獄の存在である。その様子は国や地域、宗教によって多少異なるが、ひとつの共通する部分がある。それは、良いことをすれば天国へ、悪いことをすれば地獄へ行くということ。死後の世界を信じるかどうかは、人間ひとりひとりの自由意思に委ねられている。

極楽への旅

瞑想中に極楽浄土を旅してきたという僧侶の手記がある。1967年、福建省得化県の寛浄法師が九仙山の弥勒洞で座禅をしていると、目の前に観音菩薩が現れた。寛浄法師は菩薩に連れられてほんの数時間ほど極楽浄土を周遊し、再びこの世に戻ってきた。すると、この世ではすでに6年が過ぎていたという。彼はこの時の経験を執筆し、1987年に出版している。

この本によると、彼が連れて行かれたのは「生、老、病、死、欲」とは無縁の世界で、悟りを開いた者のために保存されている場所だという。菩薩に伴われて旅を続けていた寛浄法師は、極楽浄土を開闢した阿弥陀仏に謁見することを希望した。すると、目の前に壮大な山脈が見えてきたかと思うと、それが阿弥陀仏の足のつま先であることが分かったという。

次の瞬間、寛浄法師の身体は突然大きくなり、阿弥陀仏の臍(へそ)の位置まで高くなった。仏は蓮の花の上に座り、たくさんの蓮の上に仏塔がそびえ立ち、百万の色に輝いている。仏は息を飲むほど美しく、黄金に輝き、その目は海のようであったという。あまりの完璧な美しさに圧倒された寛浄法師はこの世界に残りたいと懇願したが、仏は彼に使命があることを告げた。それは、人々にこの極楽で見たこと伝え、人々を済度しなければならないということだった。

この世界は常人にはたどり着けない境地であるが、ここに住む神々からは人間世界を見ることができる。そこには「正見の塔」があり、宇宙のどこでも見透かすことができるという。寛浄法師によると、そこには人間世界にあるような争いも、悲しみも全く存在しなかったという。

地獄への旅

1978年に台湾で出版された「地獄への旅」には、次のように書かれている。

「道は、突然山の前で途切れる。この世でたくさんの善行を積んだ善良な魂は、天国への道筋を示される。一方、悪行を積んだ魂は偽の光に目が眩まされたかと思うと、突然穴に吸い込まれ、山の下に引きずり込まれる。そこは、最後の審判によって罰を受けるところである。人々は、この世で犯した罪によって様々な罰を受ける。犯した罪とは自殺、堕胎、売春、乱倫などがあり、中には海賊品を製造することなども含まれる。不倫や売春に関わった者たちは、ある拷問部屋で罰を受ける。それは、溺れそうになりながら、糞便の中を無理やり泳がされるのだ。ほとんどの魂はこの後、腐ってしまう。海賊品を製造した者たちへの罰も、同様に厳しい。彼らは煮え立つ油が入った大なべの中に浸されてしまう」

この本によると、あの世の判事たちが慈悲を見せることはない。どんな犯罪者も、恐ろしい罰を受けねばならないのだ。

(翻訳編集・郭丹丹)