【紀元曙光】2020年9月5日

いいかげんにしろ、と言いたくなるような悲劇が、毎年、必ず起きている。
▼酷暑の夏に多い。駐車した車のなかに、なぜか幼い子どもだけが置き去りにされて、保護責任のある親は、どこかへ行ったまま。子どもは、灼熱の地獄となった車内で泣き叫び、やがてその力も尽きて悶死するのだ。親はその間、飲食店をハシゴしたり、遊戯場で遊んでいたりする。つい先日も香川県でそれがあった。26歳の母親が、15時間以上も女児2人を放置して死亡させたという。
▼書きながら、マグマのような怒りを覚えることを禁じ得ない。飲食店やパチンコ屋さんが悪いわけではないが、なぜこんな愚かなことが起き、しかもそれが毎夏の悲劇として日本のどこかで繰り返されるのか、理解に苦しむのである。
▼『万葉集』の一首。銀(しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむに、まされる宝、子にしかめやも。「銀も、金も、宝玉も、そんなものに何の価値があろう。それにまさる宝といえば、子どもに決まっているではないか」。
▼歌意を解説するまでもないが、1300年前の日本人がそう古歌に遺していることを、現代の私たちも今一度、肝に銘じたい。子どもは国の宝。いや、それ以上に、宇宙の神々から授けられた命であり、大切なあずかりものなのだ。
▼中国は今、日本のお盆にあたる季節をむかえている。今年、一体どれほどの人が死んだのか、中共発表の数字からは分からない。それより、スコップですくって破棄された大量のスマホや、解約された携帯電話の数のほうが真実の数に近いだろう。命は、軽いものではないのだ。