【紀元曙光】2020年9月22日

萩(はぎ)は秋の花であるが、はて、どんな形であったか、すぐには思い出せない。
▼それよりも、食べる「おはぎ」のほうが嬉しい。お彼岸は仏教の言葉だが、だいぶ昔に留学した中国では聞いたことがない。特別に行事として何かをおこなうのは日本だけのようだ。
▼夏のお盆には、久しぶりに家に帰ってくる先祖の霊を迎えるため、玄関先で「迎え火」を焚く。割り箸の4本足をつけたナスとキュウリは、祖霊の乗り物。これは牛馬の代わりで、筆者が子どもの頃に「家に帰る時は馬で速く、あの世へ戻る時は牛の背でゆっくり進むようにだよ」と祖父母から教えられた。他愛もない風習だが、そんな話を「送り火」のゆらめきの中で聞くと、大人になっても忘れない温かな記憶となる。
▼春秋のお彼岸には、家族でお墓参りにゆく。なぜそうするのか、大人から聞いた覚えはないが、子どもにとっては、何だか分からなくても大人たちについていく経験はあってよい。小欄の筆者は東京の人間だが、今の都会の子どもたちに、そのような温かみのある非日常が伝承されているかは分からない。
▼彼岸(ひがん)とは本来、お墓参りではなく、文字の通り「むこう岸」のこと。煩悩多きこの世、つまり此岸(しがん)にいる人間が、仏道修行を積んで悟りの境地に到達すれば、そこが彼岸となる。
▼日本では一般的に、この時期に仏様である先祖を供養すれば自分も極楽浄土へゆけると考える。それを非難するつもりはない。ただ、行為の対価を求め過ぎると一種の執着(しゅうじゃく)になることも、日本人は知っておいたほうがよい。