【紀元曙光】2020年9月24日

奥山に紅葉(もみぢ)踏み分け鳴く鹿のこゑきく時ぞ秋は悲しき(古今集)。
▼山奥で、地面に落ちた紅葉を踏み分けて鳴いている鹿の声を耳にすると、秋のもの悲しさを、しみじみと感じられる。古今和歌集では「よみ人知らず」だが、小倉百人一首では猿丸太夫(さるまるだゆう)の作とされている。いずれにしても、作者の詳細は分からない。
▼「悲しき」といっても、何か不幸があって悲嘆しているわけではない。秋の興趣に浸る作者の感動を表すには、この「悲し」しかなかったのである。古語の「かなし」には、原義として「いとおしい」「心が引かれる」があって、この歌の場合もそれに近い。作者は、おそらく鹿の姿は見ていないが、山の間に遠く聞こえるその鳴き声と、色鮮やかに散り敷く紅葉によって、冬に近づく晩秋の風情を余すところなく描いている。
▼名歌の鑑賞はよいとして、ちょっと心配なのは、奈良公園の鹿たちである。訪れる観光客が激減したため、いつももらっていた「鹿せんべい」を口にできなくなり、あばら骨が浮き出るほど激ヤセしている。本来、奈良公園の鹿は野生動物なので、自分で草を探して食べるはずなのだが、なかには観光客頼みの依存症になった個体もいて、やせ細るばかりだという。
▼3月30日の小欄に登場してくれた鹿の「太郎」も、仲間たちが栄養失調で困っているとのこと。ただ本人(本鹿というべきか)も言う通り、野生動物として、なんとか自力で生きることが望ましい。
▼今年は、全てが異例の年になった。その意味では、ここは悲嘆の「悲しき」とも言えるだろう。