<心の琴線> おじいちゃんと孫文、私を結ぶ縁

祖父が亡くなってしばらくしてから、母が「大事なものが出てきたわ」と言って箱を取り出してきた。中身は、私あての手紙。生まれたばかりの赤ん坊の私に、祖父が書いた手紙だった。私の名前の由来や、生まれた時の様子などが優しい語り口で書かれている。物静かだった祖父が、手紙では饒舌なのが意外だった。

 手紙と一緒に出てきたのが、古びた新聞の切り抜きだった。母によると、「いつか役に立つかもしれないから」と取っておくように祖父から言われたのだという。新聞には、数千年前のの花が咲いたという話が書かれている。

 蓮の話の由来は、私の父方の曽祖父と中国の政治家・孫文の関係にさかのぼる。一代で海運会社を成功させ、巨万の富を築いた曽祖父は、孫文と親交があった。その頃、中国での革命が失敗し、何度も日本に逃れてきた孫文を支援する日本人は多かったが、曽祖父もその中のひとりだった。曽祖父は孫文の人柄に惚れ込み、現在の価値で数十億という資金を彼に提供した。孫文が借用書を渡すと、曽祖父はそれを目の前で破り、「金を返す必要はありません」と言ったという。感激した孫文は、4粒の蓮の実を曽祖父に渡し、その後は親族が大事に保管していた。数十年後、鑑定により蓮の実は2千年前のものと分かり、専門家の手によって開花した。「孫文蓮」と名づけられた蓮は毎年、山口県の長府庭園で花を咲かせている。

 祖父が予見したように、この新聞の切り抜きが私を助けるとは母も思わなかっただろう。縁あって台湾の男性と出会い、双方の親戚が集まって婚約祝いのパーティーを開いたときだった。司会者もなく、通訳もいないパーティーでは、緊張のためか沈黙の時が流れた。言葉もよく通じないし、お互いの文化も分からない。困惑した雰囲気の中、叔母がふと例の新聞の切り抜きを披露した。父がつたない英語で台湾人たちに説明すると、彼らの顔がパッとほころんだ。台湾では国父として尊敬されている孫文と親交があったという話が、彼らを安心させたのだろう。とたんにその場の雰囲気は和やかになり、お互いの距離が縮まったのをはっきりと覚えている。

 それから3年後、台湾人の夫は事故に巻き込まれて他界した。何もかも失い、絶望を味わったが、その時に学んだ人生の教訓はよく覚えている。それは、人は誰でもいつかは死ぬということ。どんなに健康でも、美しくても、頭がよくても、お金があっても。死は突然やってくる。それならば、死後、後悔しない生き方をしなければならない。後悔しない生き方とは? それは、自分のためではなく、人のために生きること。その時は、見返りを求めない。私のおじいちゃんと、ひいおじいちゃんがそうだったように。一度、人生のどん底を味わったのだから、もう怖いものはない。毎日を大切に、残された人生を精一杯生きなきゃ、と思ったとたん、灰色だった私の人生が、再び輝き始めた。

 縁とは不思議なもの。自分ひとりで生きている人はいない。多くの絡みあった縁が実って今の自分がある。私はたくさんの人たちから、それを教えてもらった。
 

(文・田中)