大紀元時報
80歳校長先生の家庭教育(1)

コロッケが創り出した企業家

2021年03月14日 03時55分
(Photo by Archive Photos/Getty Images)
(Photo by Archive Photos/Getty Images)

私は中国人で、私の子供は日本育ちです。私は未だになぜ日本の学校と保護者の関係がこれほど緊密なのかが理解できず、そして、子供の日常生活や教養を授業の成績並みに重視しているのかもわかりませんでした。
しかし、ある日、中学校に上がった息子の保護者会に参加し、そこで80歳の校長先生から日本の有名な起業家の方の子供のころの話を聞き、はっと悟りました。

コロッケが食べたいと駄々をこねる子供

これは第二次世界大戦後のお話です。校長先生の話から伝統的な日本家庭がどのように子供を教育しているのかが分かり、そして、母親の慈愛、温和、理性、強さ、無言の献身がその場にいたすべての保護者を感動させました。昔の中国も同じなのかもしれません。
戦後の日本経済は非常に困難で、多くの家庭が貧困生活を送り、お腹いっぱいにご飯を食べられるだけで幸せでした。お祝いの日以外、ほとんど肉が食べられません。校長先生の話の中心はこのような時代を生きた門倉清次郎氏の子供のころのお話です、門倉氏の母親の意外な行動が彼の人生に影響を与えました。
門倉氏が小学校4年の夏休みの時、ある日、母親と買い物に出かけました。帰り道でコロッケの香ばしいにおいが漂ってきて、思わず足を止めた門倉氏は、ふと、クラスで自分だけがまだコロッケを食べたことがなく、恥ずかしい思いをしたことを思い出しました。自分の家だけ1日3食全部麦と漬物です。
彼は衝動的に「コロッケが食べたい」と母親に向かって大声で叫び、母親を引き留めました。しかし、日々の生計に苦しんでいる中、このような贅沢品を買うと父親に怒られると母親に言われた時、門倉氏は自分だけ食べたことがないから、どうしても食べたいと文句を言って、駄々をこねました。
今日社会で、コロッケは大した高級料理ではなく、簡単に買うことができ、例え毎日食べても贅沢という人はいません。しかし、戦後の日本の普通の家庭ではとても買えないような贅沢品でした。
子供の文句を聞いた母親は、じっと門倉氏を見つめ、そして、まるで何かを決心したかのように「そんなに食べたいんかい。分かったよ」と言って、迷わず店内に入り、コロッケを6個買いました。

父親の怒り 母親の無言

予想していた通り、父親が帰宅して、テーブルの上のコロッケを見た瞬間、「なんてもったいないことを、後先考えずに……」と母親に向かって怒鳴り始めました。父親の怒りを見てようやく物事の重大性に気づいた門倉氏は、母親が自分のわがままを伝え、そして父親に怒られるのではないかと怯えました。
しかし、意外なことに、母親は何も言わず、反論もなく、そして、悔しさや後悔などの表情もなく、穏やかな表情をしたまま、ただ父親からの怒りに耐えていました。
どうやら、母親はコロッケを買うと決めた時からどうなるのか分かっていたようです。夫に相談もせず、勝手に大金を使った自分が怒られるのは当然なので、弁解する必要はないと思った母親は、自分が背負うべき責任を誰のせいにもせず、しっかりと受け止めました。これこそ、一家の大黒柱である夫を尊重し、子供のために尽くす母親の態度です。

7人いるのに6個のコロッケ

そして、母親の無私の愛が激怒の父親を感動させました。なんと、怒鳴っている父親がふとコロッケが6個しかないことに気づいたのです。子供が5人いるため、合わせて7人家族です。コロッケが6個しかないということは、母親は自分の分を買わなかったということです。これに気づいた父親の罵声がぴたりと止まり、そして、自分の分のコロッケを半分に分け、母親のお椀にいれ、もう半分を自分の口に入れました。
これはつまり、父親がもう怒っていなく、食べて良いということです。当時の家庭では、父親が食べ始めない限り、勝手に食べてはいけないのです。そして、父親の行動を見た家族全員がこの美味な夕食を堪能しました。
ご飯の後、母親は門倉氏を全く責めず、「よかったね。おいしかったろ」と満面の笑みを浮かべました。

母親の無言の教えを忘れない

母親の無私な慈愛を通じて、まだ子供の門倉氏はわがままを言ってはいけない、結果を顧みずに行動してはいけない、責任を他人に押し付けてはいけないことを学びました。その時の母親の態度と表情、そして無言の教えが彼の胸に刻み込まれました。このことにより、門倉氏は無私の慈愛を理解し、自分の責任をしっかりと背負うことを学び、他人を恨んではいけないことを心に銘じ、将来の成功を造り上げたのです。
この話を聞いて、日常生活における保護者の言動や教えが、子供の将来にかかわることを知りました。
校長先生の話によると、家庭教育と学校教育は車の両輪です。どちらかに偏ってもいけません。道路は人生の道であり、子供の成長には家庭と学校による全面的な教育が必要です。双方が両立していることで、この車は将来の社会で、途中、故障を起こすことなく、最後まで真っすぐ、安全に進むことができるのです。
校長先生の話を聞いて、日本人がなぜ日常生活での教えを重視しているのかが分かりました。

文/劉如

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