【掌編小説】腕を折った翁  白居易「新豊折臂翁」より

 春の馬市で思いのほか良い馬が購えたので、馬好きの白楽天は、お忍びで遠乗りに出てみたくなった。

 動きのない夕雲の様子だと、おそらく明日も風はなく、天気も良いだろう。自邸に住まわせている幾人かの書生のなかでも、もの静かで慎み深い亮文という若者に、明朝の供を言いつけておく。騎乗する馬は、買ったばかりの駿馬に替え馬をふくむ四頭。厩の下男には、馬蹄の手入れをよくしておくよう命じた。

 払暁のころ、亮文は支度を整えて中庭で主人を待っていたが、その表情はやや硬かった。出てきた楽天が、どうかしたかと聞くと、この生真面目な20歳の青年は「奥様にも言わず、お忍びでお出かけになっても、よろしいのでしょうか。お供が私一人では、もしもの時に旦那様をお守りできませんが」と気弱そうに言う。

 「心配するな。厩舎の馬が見えなければ、私が乗って出かけたことが家人に分かるというものだ。また旦那様の悪いお癖がでたな、とな」。楽天はそう答えて、馬上の人になった。

 白楽天、このとき38歳。お忍びの遠乗りなど、高位の官人のやることではない。どこかへ出かけるなら、銅鑼を打ち鳴らす数十人の行列と護衛つきで、屋根つきの輿に担がれてゆるゆると歩いていく。そういうものだと分かってはいるが、白楽天は、それが嫌いだった。たまには馬で軽やかに走り、顔に風を感じたい。宮仕えの息苦しさと、官界の醜さを日頃嫌というほど感じている自身の、ささやかな抵抗であった。

 長安から東へ五十里(華里)ほどのところに、桃の花が咲くという新豊(しんぽう)の里がある。そこへ行くと決めてはいなかったが、なぜか馬の鼻がそちらに向かい、道が気持ちよく伸びているので、そのまま進むことにした。日が高くなったところで引き返せばよい。

 白楽天は、農民が好きだった。官僚である士大夫の身と無学の庶民との間には、身分の差が天地ほど開いていたが、彼は生来、庶民をいとおしく思える気質であったらしい。

 白楽天の乗った新しい馬は、よく脚を進めた。後方の、かなり遠くから「旦那さま」と呼ぶ亮文の声が聞こえて、やっと振り返った。亮文を乗せた馬が、他の二頭を綱で引きながら必死で追ってくるのが小さく見えた。

 桃の花がほどよく迎える広野の片隅に、小さな茶店があった。長床几に腰をおろし、ひどく遠慮する亮文に命じて、並んで座らせた。「今日は普段と違うよ。気楽にしなさい」。店のものに銭をわたして、馬に水を飲ませるようたのんだ。

 うまくはないが、田舎の安茶を口にして面白がっていると、遠く、楽天の目に一人の老翁が映った。すさまじく年老いた翁で、ひまごらしい男児に左肩を支えられ、こちらに歩いて来る。茶店の店主とは顔なじみのようだ。

 遠くから目が合っていたので、楽天と老翁の間には、互いに微笑む関係ができていた。楽天は、なるべく官人であることを出さないように、庶民の言葉で聞いた。「ひまごさん、かね」。「いやあ、その子どもで。玄孫(やしゃご)でございますよ」。あとは自然に、老翁の一人語りを聞くことになった。

 新豊の老翁、数え年で八十八。髪の毛も、鬢(びん)も、あごひげも真っ白になっている。腰掛けをすすめたが、こっちのほうが楽だと言って、むしろ敷きの地面にあぐらをかいた。

 先ほどから気づいていたが、だらりと下げた老翁の右腕は、中ほどのところで異様に折れ曲がっている。「その腕は、どうしたのかね。ずいぶん昔の怪我のようだが」と聞くと、老翁は笑みを絶やさないまま目を遠い空に向けて、思い出すように語り始めた。

 「わしは、この新豊に生まれてから、ずっと開元の御世が続き、すばらしい天子さまのお陰で外征もなく、平穏に過ごして参りました。本当にあの頃は、戦争などという言葉を聞いたことがないくらい、弓矢や刀槍も見たことがないくらいの、まさに聖代でごぜえました」。

 続く老翁の語りは、次のようだった。

 元号が代わって天宝の時代になると、大掛かりな徴兵が行われるようになった。一家に三人の壮丁がいれば、必ず一人は兵隊に取られた。どこへ征くのかと問えば、万里の彼方、雲南のほうまで連れて行かれるとのこと。聞くところによると、雲南の地には瀘水(ろすい)という毒気を発する川があるという。大軍が渡河するとき、川の水は湯のように熱くなり、十人のうち三人は渡り切れずに死んでしまうらしい。

 徴兵と聞いて、この村の南からも北からも、悲しい泣き声が上がった。息子は父母と、夫は妻と、泣きながら別れを交わした。皆こう言っている。「南の蛮族の地へ征伐に行って、生きて帰った者は千万人に一人もいない」と。

 「当時、わしは二十四の若さでした。もちろん徴兵の名簿に、わしの名前がごぜえました。わしは人知れず、夜が更けるのを待ちました。それから大きな石をつかって、自分の右腕を、こうして叩き折ったのでごぜえます」。

 老翁は、曲がった右腕を少しばかり上げると、左手に枕ぐらいの岩石を掴み上げたつもりで、右腕を叩き折るまねをして見せた。老翁の顔は、冷たく笑っている。

 「わしの右腕は骨が砕け、血肉が飛び散り、もとより曲がらない方向に折れ曲がってしまいました。あまりの痛みに失神しそうになったが、これでは兵として弓も引けず、旗も持てないということで不採用。雲南に征くことを免れたのでごぜえます」。

 徴兵を逃れるため、自ら右腕を折って六十余年。腕一本は使い物にならなくなったが、命は助かった。今でも天気の悪い日や寒い夜には、この右腕がひどく痛み、眠ることができない。「しかし、どんなに痛くて眠れなくても、後悔してはおりませぬ。新豊でこの老いぼれだけが、この歳まで生き残れたのは、やはり嬉しいことでごぜえます」と老翁は言う。

 「そうしなければ、きっとこの身は雲南の果てで鬼となり、万人塚の土盛りの上で故郷を思い慟哭する亡者となっていたでしょうから」。そこまで語って、老翁はもう一度、静かな笑顔を白楽天に向けた。茶店の主人が、碗に入れた茶をもってきて老翁の前に置いた。

 白楽天は、隣にいる亮文に耳打ちして告げた。「いま翁の話されたことを、書き留めておきなさい」。亮文は、左手で茶をすする老翁をじっと見ていたが、楽天の耳打ちにはっとして、あわてて矢立の筆を引き抜いた。

 帰途でのこと。夕景のなか、馬の背にゆられながら、白楽天はぼんやりと考えた。

 開元の御世では、名宰相と称えられた宋暻(そうけい)が、辺境での戦功を賞せず、以ってみだりな戦争を防いだという。下って天宝の時代には、宰相の地位を簒奪した楊国忠(ようこくちゅう)が天子の恩寵を求めるあまり、辺境での戦争をやたら企てた。しかし、その功を見ぬうちに、楊国忠は人民の激しい恨みを買い、誅殺されたではないか。

 「国政の定法を問う者あらば、新豊の折臂翁(せっぴおう)に聞くが良い」。白楽天は馬の背で、思わずそんな独り言をつぶやいていた。

(鳥飼聡)