春秋時代の斎国の話である。ある年、この国は17日間の豪雨に見舞われた。氾濫した川が農作物や家屋をなぎ倒し、民衆は途方に暮れていた。斎の宰相・晏子(あんし)は斎国の君主である斎景公へ窮状を知らせ、食糧を民衆に提供するよう伝えた。しかし、それに対して斎景公は、人を派遣して全国を回らせ、歌と踊りのできる美女を求めた。遺憾に思った晏子はため息をつき、自宅にあるすべての食料と皿を家の前に並べ、被災者たちの救済にあたった。

  すべて配り尽くしたのち、晏子は斎景公を訪ねた。「斎国では17日間、連続して豪雨に見舞われました。一つの村だけでも数十戸の家屋が損壊し、飢えに苦しむ民衆が溢れ、その多くは身につける服もありません。しかし、あなたは少しの憐憫も見せず、毎日ただ酒を飲んで楽しみ、美女を探し求めているだけです。馬は宮廷内の食料を、猟犬は羊肉や牛肉を餌にしています。あなたは動物に対して寛大ですが、民衆に対しては冷酷です。民衆が君主に救助を求めても応じてくれなければ、君主への尊敬の念も薄れ、そうなれば国は危うくなるのです」

「民衆が飢えに苦しんでいるのに何もしてやれず、君主が酒色に耽っているのに助言してあげられない。私は何て罪深いのでしょう。もうこれ以上、宰相の地位にはいられませんので、辞職させていただきます」と彼は言葉を残し、大雨の中に消えた。

自分の言動を恥じた斎景公は晏子の自宅に急いだが、晏子はすでに家を後にしていた。斎景公は馬車を走らせ、ようやく晏子に追いついた。「私が間違っていた。私から去っていくのは、私の自業自得だが、この国と民衆のことも見離してしまうのか?すべての食料と財物を民衆に分け与える。全部お前の一存に任せるので、引き続き私を補佐してほしい」と斎景公は晏子に一礼した。

斎の都に戻った晏子は、直ちに各級の官吏に被害の状況を調査するよう命じた。農作用の種子を持っている者には1カ月分の食料を与え、持っていない者には1年分の食料を与え、薪を持っていない者には一定量の薪を与え、家屋が倒壊した者には修繕に必要な補助金を給付することに決めた。官吏らには、3日間で調査報告書をまとめることを命じ、報告の遅れた者には厳しくあたった。

更に、晏子は斎景公に対し、宴を中止し、3日間で3千人の踊り子を解散するよう進言した。また、国庫の食料を馬や猟犬の餌にしないことや、部下への恩賞を減らすことなども提案した。斎景公は晏子の提案をすべて受け入れた。

こうして、斎国は最も困難な時期を乗り越えることができたという。

(翻訳編集・蘭因)