【党文化の解体】第3章(14)

2.強制的に国民にマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン・毛沢東の著作を読ませる(中)

 第2に、定期的な整党と整風の運動を通じて、党員に定期的にマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン・毛沢東・_deng_小平・江沢民の著作と中共の方針を通達する書類を学習するように強要し、抵抗する人は粛清や処分を受けることになる。40年代の整風、50年代の反右派運動、60、70年代の文革、80年代初めの整党と整風、80年代中期の「精神的な汚染を徹底的に取り除く」運動や「資産階級の自由化に反対する」運動、及び最近終息したばかりの「保先運動」(共産党の先進性を保持するための整党運動)など、このように十年あるいは十数年の間隔を置いて、中共は国民に対する制御力が弱まった頃に、「党性」の教育を改めて行い、党員に対する「党組織」の思想統制を重ねて確認するようにしてきた。

 04年末に『九評共産党』が発表されて以降、中共は未曾有の政治的な危機に至ったことに気が付いた。05年1月、中共中央は「保先運動」を開始、計画では05年1月から一年半くらいの時間を掛けて、全党で「三つの代表」という重要思想を実践するために「保先運動」が展開された。全党員は中央の指示を学習させられ、入党の誓いを繰り返し唱えさせられ、党員資格の再登記を求められ、長文の思想報告と学習体得を書かされた。

 

このようにして中共の「先進性」が維持されている。(挿絵=大紀元)

06年6月29日に中共中央政治局は会議を開き、「保先運動」について「主題は鮮明、指導は強力、措置は妥当、任務は着実に実行され、実践の成果、制度の成果、理論の成果を顕著に得られた」と大法螺を吹いた。しかし、実際は、幹部や党員は「保先運動」に対して極度に反感を持っていた。これは公然の秘密である。党員たちは文句、不満、皮肉の言葉を漏らしながら、仕方なく要求された学習体得の文章を書かなければならなかった。

 イデオロギーの教育は嫌われてはいるが、それでもそのような教育が繰り返されているうちに、人々は知らぬまに黙認してしまうようになるものだ。1964年、教育問題に関する談話中、毛沢東はこう言った。「試験のとき、耳打ちしたり、替え玉したりしても構わない。替え玉にしても、決まった答案を写すしかできない。自分ができないから、他人の答えを写した。写しただけにしても、記憶の中にその内容がある程度残される」。

 中共は、このことを熟知している。たとえ中共の嘘の宣伝を一回写しただけでも、或いは復唱しただけでも、必ず党員と民衆の頭の中に印象が残る。これらの嘘が徐々に人々の記憶に蓄積した結果、知らず知らずのうちにこれらの嘘を口から漏らし、間接的に他人に毒害を与えることになる。他方では、このような教育方式は人間性と良識をまだ失っていない党員に対しては、その人格を侮辱する目的を達することができる。一度嘘をついただけでもやはり嘘をついたことに変わりなく、一回妥協しただけでもやはり妥協したことになり、時間が長くなると、これらの人たちも、自分の人格を守ることを諦めて、波に従って流れるようになる。

 中共はこのような形式の政治教育の中で、人々の政治に対する嫌悪感を育てる目的もある。中共は必要なとき、人々の政治熱を扇動し、「国家の大事に関心を持とう」と吹聴し、政治的な落伍分子や政治に無関心な「逍遥派」を批判する。時が代わると、中共は人々が政治に参与しないように示唆し、人々に「政治屋」のレッテルを貼り付けて、批判、弾圧を行なうようになる。毎回の政治運動は上から下まで制度的に欺瞞を行うので、国民に「政治とは暗黒なのだ」、「誰が好き好んでこのような汚いことに参与するものか」という心理を生じさせた。それ故に、国民の目は金に向かい、人々は自己中心的になり、冷たくなり、すれからしになり、疑い深くなり、世界にはいい人もいることさえ信じなくなる。そして、中共に弾圧された人々を、保身の術を知らぬ彼等は自業自得だ、と見なすようになる。このように故意に作りあげられた国民の政治に対する嫌悪感の中で、中共は引き続き政権の座に居座り、民衆の財産略奪に狂奔し続けると同時に、良識と善意ある人々を陰険に迫害している。

 

 

(続く)