古代中国の物語

寛容で度量の大きい宰相 蒋琬(しょうわん)

 三国時代の君主は諸葛孔明が病で亡くなると、孔明の生前の言葉に従って、蒋琬(しょう わん)を起用し、宰相に任命しました。蒋琬は仁徳を備えた寛容な人だったと言われています。

 当時、蒋琬には口数の少ない楊戯(よう ぎ)という家臣がいました。楊戯は蒋琬から話しかけられても、ほとんど返事をしません。「楊戯の傲慢さは度が過ぎている」と周りは非難しました。しかし、蒋琬は、「皆、人それぞれだ。表では従順でも、陰で悪口を言うことは、昔から恥ずべき行為とされているだろう。楊戯は人前で私を褒めたりしないが、そのかわり不足を指摘することもない。私の面目が立たないと彼が考えているからだ。これこそが彼のいいところである」と言いました。

 ある日、農業を監督する役人・楊敏(よう びん)は、蒋琬のことを「大した仕事もしていないし、全く前任者に及ばない」と言いました。官吏が楊敏に罰を与えようとしましたが、蒋琬はやめるよう説得しました。蒋琬は更に、過ちを犯した楊敏を許すようにと言い聞かせました。蒋琬の行動を理解できない人々は、不満を口にしました。

 蒋琬は、「私が前任者に及ばないのは事実なのだから、言われても当然だ」と淡々と話しました。「彼の無礼に対して、ただ公平に処理したいだけなのだ」

 蒋琬の寛大さは、「宰相肚裡能撐船(宰相の腹は船を漕ぐことができるほど広い」と称えられ、今日まで伝えられています。

(翻訳編集・豊山)