大紀元時報

気分を変えて雨を見に行く

2021年7月8日 10時00分
KaroMori / PIXTA(ピクスタ)
KaroMori / PIXTA(ピクスタ)

人生は味気ない時があり、限りないうららかな春の日を経験した後は、気分を変えて風に耳を傾け、を見る。

子供のころから賑やかで乾燥した大都市で育った私にとって、はいつも刺激的で、たまらない魅力がある。が打つリズムに耳を傾け、が土地を潤すときの新鮮な匂いを吸い込む。手放せない争い事をどんどん切り捨てていくと、を聞いたり、見たり、鑑賞したりする心の状態が整ってくるようだ。

は一種の賜物である。乾いた砂漠にはなく、見渡す限りの黄砂の中にもはない。

は一種の救いであり、この世の終わりの火事にが必要であるように、空を覆うような山火事にはが必要である。

は一種の懲罰であり、絶え間ないは洪水をもたらし、自然破壊への警告かもしれない。

は一種の怒りであり、豪が地球を襲い、切羽詰まった人類はノアの方舟が必要だった。それは当時、道徳がだめになった人々の運命に対する究極の審判だった。

自然の造化であり、それは美しい西湖と煌びやかな日月潭を作り出すことができる。家の裏庭にも、緑の澄んだ小さな湖があり、金色の池に色とりどりの雲が映えて煌びやかだ。そのとき人間は、自然が変幻極まりなく予測不可能な方法で、惜しみなく水を与えてくれる魔法に感謝する。

天地使者である。ハリケーンのや風、洪水が人類を席巻する時、助けを求めた人々は、神の救いを祈ろうと考えただろうか。

希望をもたらす。心が天地への感謝の気持ちで満たされ、神を畏れ敬う謙虚さでいっぱいの時、上がりの虹が壮観で魅力的ではないと誰が言えるだろうか。

(翻訳・溝部 東)

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