「民と富を共有する」モンゴルの帝王ーーオゴタイ(上)

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モンゴル帝国の歴代の帝王(カアン)の中に、温厚で、一族の和を重視し、金銭に無頓着なカアンがいます。彼はモンゴル人の勇猛果敢さを備えていながらも、修行者のように真理を理解しています。彼は当時、人類史上最も広大な帝国を統治しながらも、天下の富を民に還元し、寛大に民と共有しました。彼こそモンゴル帝国の第2代帝王ーーオゴタイチンギス・カンの三男)です。

 

オゴタイ肖像(国立故宮博物院蔵:パブリックドメイン)

 

温厚なカアン

多くの人は、モンゴルの歴史といえば、勇猛な騎兵と果敢な戦いっぷりをイメージするでしょう。当時モンゴル軍は向かうところ敵なしで、ヨーロッパ大陸までもがモンゴル帝国の支配下となりました。戦いの後の凱旋とともに宴会が開かれ、山積みの金銀財宝は幾ら取っても取り尽くせず、幾ら使っても使い尽くせませんでした。

軍隊が持ち帰る膨大な財宝を前にして、オゴタイはよく抜き打ちで帳簿や記録の検査を行い、良く戦った兵士たちに恩賞を与えたり、功績のある者に授けたりしていたため、「温厚寛大、恩賞無数」(「性極寛仁、揮霍無節」)という記載が残されました。オゴタイはむやみに恩賞を与えていたわけではなく、財宝を多くの親戚や将官、兵士、百姓たちに授けました。

 

民に財を返す

オゴタイの財宝に対する態度に、多くのモンゴル貴族や王族たちは納得がいかず、子孫のためにも下賜をほどほどにすべきだと進言しました。しかし、あまり富を重んじないオゴタイはこのように答えます。

「財宝は我々を死から守ることもできなければ、生き返らせることもできない。財宝を貯めてどうするというのだ?それなら、民のために財を使い、民に財を返そうではないか」

ある日、国庫を訪れたオゴタイは、国庫から溢れそうなほど山積みになっている金銀財宝を見て、「これほどの金銭を蓄えてどうする?国庫を開き、民に財を分配せよ」と命じました。

多くの人は財宝を見ると、目がきらきらと光り、心を惹かれます。だからこそ、お金で人の心が買えるのです。

しかし、オゴタイはお金に目をくらませることなく、実際の行動で「民のために財を使う」という誓願を果たしました。その方法は今日の社会とは異なりますが、しかし、約800年前のモンゴルでは、これは最も直接的で、効果的です。

 

瓜のお返しは真珠で

オゴタイは妃と将官たちを連れて狩猟に出かけ、ある辺鄙な場所へとやってきました。現地の農民は貧しいため、一国の主がやってきたのを見ても高価なものを差し出せません。それでも当時は結構良い品であった瓜を3つ献上しました。

オゴタイは金銀を持ち歩いていないので、妃に大きな真珠の耳飾りをその農民に与えるよう命じました。貧しい農民が真珠の価値を知るはずがないから、翌日にまた金銀を与えればよいと妃は思いましたが、オゴタイは「目の前で民が貧しい生活を送っている。なぜ明日を待つのか?真珠を与えて、彼自身が売るなりしてお金に換えれば良い」と言いました。
 

商人を憐れみ、財を授ける

オゴタイが温厚で寛大なことを耳にした商人たちは、わざわざ遠い場所から帝国へとやってきました。オゴタイはよく商人たちの品物をすべて購入し、その後、また財を授けたりしていたので、時間が経つと皆オゴタイのやり方を熟知し、わざと品物の値段を上げるようになったのです。そのため、大臣たちは商人の話を信じてはいけないと何度もオゴタイに進言しました。

しかし、オゴタイはこのように答えたのです。

「商人たちがはるばる遠い場所から山を越え、谷を越えてやってきたのは、多くの利益を得たいだけだ。彼らに失望してほしくない。険しくて苦しい長旅を経て、ここまでやってこれたのは命と引き換えてのことだ」

オゴタイは商人たちの努力と苦労を哀れみ、騙されていると知っていながらも、あえて暴かず、厚い報酬を授けていたのです。

(つづく)

(翻訳編集 天野秀)