「民と富を共有する」モンゴルの帝王ーーオゴタイ(下)

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1個の銀元宝(銀貨)が1つの命を救う

モンゴル人にとって、水は草原を守る純潔な神です。そのため、モンゴルでは、川の中で体を洗ったり、ゴミや汚れたものを川に投げ捨てたりすることはタブーとされています。『長春真人西遊記』によると、水の神を冒涜しないよう、川の中で身体や手、服、物などを洗ってはいけない、金属器で水汲みをしてはいけないなどの禁忌が法律形式で定められていたといいます。

ある日、オゴタイは兄のチャガタイと狩猟に行った帰りに、ある回教徒(イスラム教徒)が川の中で身体を洗っているのを見かけました。チンギス・カンの命を受けてモンゴル帝国の法律「ヤサ」を管理していたチャガタイは、即座にこのイスラム教徒を殺そうとしました。しかし、そこへオゴタイが止めに入り、「明日、取り調べをして事情を明らかにしてから殺しても遅くはない」と言いました。

その晩、オゴタイは使いの者に命じ、1つの銀元宝をあのイスラム教徒が身体を洗っていた川へ放り投げさせました。そして、翌日の尋問の際には、「1つの銀元宝を川に落としてしまい、それが全財産であるため、仕方なく川に入り、銀元宝を探した」と答えるよう、そのイスラム教徒にこっそり伝えました。

 

チャガタイ。チンギス・カンに見込まれてモンゴル帝国の法律「ヤサ」の管理を任されていたため、「ヤサの番人」とも呼ばれていた。(パブリックドメイン)

 

翌日、チャガタイによる尋問で、このイスラム教徒はオゴタイの言いつけ通りに答え、そして、確かめに行った兵士は本当に川から銀元宝を見つけました。そこで、オゴタイは「民は禁忌を破ってはいけない、しかし、この者は本当に貧乏で、やむを得ず川に降りたのだ。今回は見逃してやろう」とチャガタイをなだめます。説得されたチャガタイはこのイスラム教徒を釈放し、さらに家計の足しとして10個の銀元宝を与えました。
 

万里を越えて、一諾千「銀」

一諾千金(いちだくせんきん)とは、一度承諾したら、その約束は千金の重みがあるという意味の四字熟語ですが、オゴタイには、一諾千金ならぬ、一諾千「銀」のエピソードがあります。

『元史』によると、オゴタイの統治下のモンゴル帝国は人口が多く、農産物も豊かで、民は平和な暮らしを送っていた(華夏富庶,羊馬成群,旅不継糧,時称治平)といいます。そのため、この13世紀半ばのモンゴルでは、よく外国人が見られました。

ある日、オゴタイはバグダッドから来た老人に出会い、会話の中で老人の家が非常に貧しいため、10人の娘が未だ結婚できていないことを知りました。老人はバグダッドの国王に助けを求めましたが、10枚の金貨を頂いたものの、家に帰るには旅費もかかるので、結局あまり残りませんでした。

事情を知ったオゴタイは、老人に1千個の銀元宝を与えました。1千個の銀元宝は重いので、モンゴルの大臣は、紙幣を渡して老人に他の都市で銀貨に両替してもらうつもりでしたが、オゴタイはそうせずに直接銀元宝を与え、そして、護衛を派遣して老人を家(バグダッド)まで送らせました。しかし、不幸にも老人は道中で亡くなってしまったのです。戻ってきた護衛の報告を聞いたオゴタイは、老人の娘たちに1千個の銀元宝を届けるよう命じました。

歴史の長流の中、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の大半を支配したこのモンゴルの帝王は、「寛大な度量、忠恕な心(真心と思いやりがあること、忠実で同情心が厚いこと)」と高く評価され、約800年を越えて、今再び光を放ち、この世界の一角を照らしています。
(完)

(翻訳編集 天野秀)