安倍元首相が遺した日本人へのエール「諦めず、立ち上がる」

衝撃的な事件からひと月も経っていない今、こうして振り返ってみると、私たちはまだ悪い夢を見ているような気がする。

 

突然に奪われた命

7月8日午前、元首相の安倍晋三氏が奈良市内で演説中に銃撃され、同日のうちに亡くなられた。

現時点で、逮捕された容疑者は1人。
銃規制の極めて厳しい日本において、鉄パイプをテープで巻いた玩具のような「手作り銃」で及んだ、猟奇的とさえ言える犯行には唖然とするばかりである。

警備の不備はもとより、犯行の動機や背景など不可解な点があまりにも多い。そのため、人々は大きな悲しみとともに、やり場のない悔しさを感じているのではないだろうか。

言うまでもなく、安倍氏は政治家である。それに反対する立場の人も、もちろんいるだろう。

ただ、安倍氏が多くの日本国民に支持されて2度も首相となり、首相引退後も変わらぬ人望を得ていたことは明らかな事実である。

まして正当な言論によらず、密室で凶器を制作していた段階からテロリズムという憑き物につかれていた犯人と、その異常性は、いかなる理由があろうとも許されるものではない。

ご本人が亡くなられてから、その人物の大きさや温かさに気づくのは、誠に残念な時間差のいたずらと言うしかない。いま改めて多くの映像を通じて安倍晋三氏の素朴な人柄に触れると、なんと優しい人だったのかと思う。

 

経験者が語れる真実

今回とり上げるのは、今年3月19日に行われた近畿大学の令和3年度卒業式に、来賓として招かれた安倍晋三氏が、若い卒業生に向けて語った珠玉のスピーチである。

動画は、こちらからご覧ください
 

以下、故人への敬意と親しみを込めて「安倍さん」と呼ばせていただきたい。
動画タイトルの一部に「大切なことは失敗から立ち上がること」という言葉が入っている。

まさにその通り。これから社会人となる若い人々が、新しい環境で奮闘しながら多くの失敗を経験し、試練を乗り越えていくためには、「失敗から立ち上がることが最も大切なのです」と、実に安倍さんらしい、聴衆の心に染みるような言葉で語りかけている。

それにしても、「失敗から立ち上がることが大切」とは、字面だけ見ればあまりにも平凡な、つまらないお説教ではないだろうか。ところが、それが安倍さんの口から語られると、まことに滋味に富んだ、魅力あふれる日本語になる。これは一体、どうしてなのか。

スピーチのなかで安倍さんも触れていたが、1度目の安倍内閣はわずか1年で終わった。
政治課題が山積のうえ、激務のなかで長年の持病であった腸の病が悪化し、心ならずも辞任せざるを得なくなったからだ。

短命内閣に終わったことで総攻撃を受けた安倍さんだったが、それを「全て私の責任です」と逃げずに受け止め、そこから再起をはかる安倍さんの新たな日々が始まる。

ところが、その後も自民党は短命政権が2代続く。ついに2009年8月の衆議院選挙で歴史的大敗を喫し、民主党に政権を奪われる。

野党となった自民党にとって、苦渋と忍耐の3年数カ月だった。その間に、東日本大震災が起きる。その後、政権を取り戻した第2次安倍内閣は、2822日という歴代最長を誇る安定政権を樹立する。

 

被災者に教えられた「勇気」

そうした「失敗」と「再起」を経験した安倍さんだからこそ、スピーチのなかで語った「それでも諦めなかった」「ともに頑張る仲間がいた」という言葉が一層重みをもつ。

安倍さんにその勇気を与えたのは、東日本大震災で被災した人々の、強く、たくましい姿だったと言う。

2011年3月11日の発災後、ようやく東北自動車道が一般車両に解放されたとき、安倍さんを含む議員の有志は、トラック2台に救援物資を積んで福島の被災地へ向かった。

安倍さんがそこで目にした光景は、がれきの山のなか、大きな悲しみをこらえながら、黙々と作業する被災者の方々だった。ある町の漁業組合長の男性は、こう語った。

「安倍さん、よく来てくれたね。今日ようやく女房の葬儀が終わったんだ。でも俺は負けないよ。絶対に町を復活させるからね」

被災者のその強さに、救援に行った安倍さんは「圧倒された」と言う。

 

日本人は必ず「立ち上がる」

安倍晋三さんは、もうこの世の人ではない。

それは誠に悲しいことだが、こうした動画で、お元気だった頃の安倍さんを何度も拝見できるのは本当にありがたいことである。

「これを遺して、逝かれたのか」。そんなこともふと思うのだが、私たちがそのような湿っぽい気分になるのは、決して安倍さんの願うところではないだろう。

ここはやはり、安倍さんがスピーチでも言われた通り、「諦めず、立ち上がる」を私たち日本人の新たなエネルギーにすることが、何よりも肝要であろう。

鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。