西洋音楽史に大きな足跡を刻む ピアノの歴史 (4)

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1781年、オーストリア国王ヨーゼフ2世の発案でモーツァルトとクレメンティが招かれ、それぞれの作品とパイジエッロのソナタを即興演奏しましたが、勝敗はつきませんでした。もう一つの対立は、リストとタルベルクの間で起こりました。1837年3月31日、この二人は、当時のイタリア難民のためのコンサートで、ようやく顔を合わせました。激戦の末に、ベルジクール女王は「タルベルクはヨーロッパで最も優れたピアニストであり、リストは比類ない存在であることを証明した」と裁定を下しました。

18世紀半ばには、多くのピアノ神童が誕生しました。ヒルシュホルンは3歳で演奏を始め、10歳でリサイタルを開き、メンデルスゾーンは8歳でベートーベンのピアノソナタ第32番を弾きました。1763年に7歳のモーツァルトは父親と四輪馬車でヨーロッパ巡回演奏をしました。

非凡な天才児のリストには、もちろん、ショパン、リスト、アントン・ルービンシュタイン、カール・タウジヒ、フェルッチョ・ブゾーニ、ヨゼフ・ホフマン、アルトゥール・ルービンシュタイン、クラウディオ、そして驚くべきロシアの天才ピアノ少年エフゲニー・キーシンが名を連ねています。そして、ギリシャのディミトリス・スグロス、さらには、わずか5歳の時に欧州各地で公演を行ったスペインの神童アンドロアコンチャ。英国のマイケル・ロールは12歳の時、ロンドンにあるロイヤル・アルバート・ホールで演奏しました。

しかし、悲しいかな、こうした若いアーティストの中には、偉大な音楽家に育たない者も少なくありません。彼らは不幸にも、両親の金銭欲のための犠牲となり、精神的、肉体的な拷問を受けることさえあったのです。

1890年代になると、映画の登場とともに、ピアノが新たな重要な役割を果たすようになり、無声映画にピアノ曲をつけるようになりました。これは映写機の雑音をかき消すためですが、即興ピアニストたちが才能を発揮できる新たな舞台を提供することにもなりました。演奏家は映画の冒頭から上映終了まで弾き続けます。映画でのピアノの成功により、公衆の場でピアノが広く受け入れられるようになりました。店や学校、そして工場でも、ピアノはBGMとして独自の機能を発揮するようになりました。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは1721年、「ピアノ音楽の旧約聖書」と呼ばれる平均律クラヴィーア曲集を完成させました。この時代の記念碑的作品には、バッハの印象的で説得力のある才能が示されています。ベートーベンのソナタ32曲は「ピアノ音楽の新約聖書」と呼ばれます。

ベートーベンが4、5歳の頃、アルコール中毒で才能のない父親が、夜中にピアノやヴァイオリンの練習を強要し、しばしば殴るのを近所の人が見ていたといいます。ベートーベンがピアノにもたれかかってすすり泣く姿も目撃されています。幸いなことに、ベートーベンの生来の知性と並外れた忍耐力によって完成した32曲の古典的ピアノソナタは、彼のピアノへの目覚ましい貢献を証明するものとなりました。

彼のソナタは、古典的な静謐さ、落ち着き、優雅さの枠を超えて、刺激的なロマンティシズムの世界へと音楽を導き、非常に感動的であると言われています。彼のピアノ演奏は、聴く者をかつてない感動と高揚感に満ちた世界へと効果的に誘います。1827年、ベートーベンは長い闘病生活の末、ウィーンで亡くなりました。これほど華やかに埋葬された帝王はいません。3万人もの人々が棺を追って墓地までやってきました。

ピアノ詩人ショパンは1810年、ポーランドに生まれ、8歳から公演を始め、生涯ポーランドに心を寄せていました。彼の作品の中のポロネーズやマズルカには、望郷の念がこめられています。しなやかな手で音を操る能力は他の追随を許しません。ピアノの機械的特性を超越し、魔法のように自在に演奏します。彼のすばらしくユーモラスで伸びやかなメロディーは、偉大なオペラ歌手に引けを取りません。

(つづく)

(翻訳・源正悟)

曹全恩