自己肯定感が低い人は、感情的な苦痛を感じやすい(1)

自己肯定感は、一種の複雑な感情です。これが低い人には、疎外感、嫉妬、怒り、恥、不快感、不安、恐怖などの感情が生まれます。これらの感情が内面でかき乱されると、思考は複雑化し、明確にすることが難しくなります。冷静に自分の考えを分析する必要があるのに、感情が混在しているため、心を冷静に保つことが難しいのです。

自己肯定感の低い人は、時間に余裕がなく、仕事を通じて自分の価値を証明したがります。時には、仕事中毒のように、休むことができないこともあります。 休んでいるときでも、いつも自分より優秀な周りの人を見つめて、不安になってしまうのです。

また自己肯定感が低い人は、誰とも本当の関係を築くことができません。誰かと関係を深めていくと、自分の長所や短所が見えてくるので、人前で自分をさらけ出すと恥ずかしくなってしまうのです。
そのため、相手の前では自分を表現せず、迎合的、恩着せがましく関係を構築していきます。そうすることで、相手は「自分が大切にされている」と嬉しい気持ちになります。特に、一方的に大切にされたいという願望がある人や、幼少期に満たされない感情がある人に好まれます。

表面的には、片方は人の世話を焼くのが好き、もう片方は世話を焼かれるのが好きと、仲が良いように見えます。しかし、実は人の世話を焼くのが好きな人の本音は、「よし! 私はいいことをしているんだ 」と。自己肯定感が低い人は、人間関係を仕事ととらえ、まるで使命感を持っているようです。

世話をされる側からすると、「私は愛されている」と感じます。その人は、大事にされているという感覚に没頭するあまり、本当のことに気づかないのです。二人の人間は、互いに依存し合うという偽りの関係に陥っています。この関係は、いつ崩れてもおかしくない蜃気楼のようなものです。

自己肯定感が低い人ほど強くなりたがる

自己肯定感が低い人は、自分が他人に劣っていると感じるからこそ、強くなりたいと内心思っています。
現代の競争社会では、そのような人は取り残されたくないという思いから、常に人に負けることを恥ずかしく思い、負けると不安になるなど、恐怖と戦慄を感じながら生きています。時には、他人に勝つために、何が何でも自分に有利な状況を作ろうとします。それがうまくいかないと、怒り出したり、相手と口論になったりします。 彼らは負けたくないので、議論でさえも勝たなければならないのです。

少し前になりますが、似たようなことがありました。私には2人の兄と2人の姉がいるのですが、年末年始、姉たちとは会わないけど、兄たちとは集まることがあります。あるとき、兄弟でトランプをしていたら、大喧嘩になりました。
言い争っていた相手は、私の兄でした。兄は私よりずっと年上で、子どもの頃から面倒見がよくて私の味方でした。 

しかし、大人になってから、兄にも弱い面があることに気づきました。
私がトランプをしていると、兄はあれやこれやとルールを変えてきます。私は負けそうになったので、「もう、やめれば?」と、つい文句を言ってしまいました。
それを聞いた兄は、すぐに怒鳴り返してきました。「そんなにルールを変えてないよ! やりたくないならそう言えよ、なんで人のせいにするんだ?」。
二人は互いに言い争い、どちらも引きませんでした。本来は楽しかったパーティの雰囲気は、突然凍りつくように落ち込んでしまいました。

この光景を見た兄の息子は、突然、私に青天の霹靂のような言葉を投げかけました。「お父さんだけが怒ると思ってたけど、おじさんも怒るんだね。血は譲れないんだね」。
この言葉を聞いて、私は我が家の歴史を思い返しました。家が貧しく、苦しい生活をしていたため、私たち兄弟は自己肯定感が低かったのです。しかし、私たちはこのことに気づいていませんでした。トランプで遊ぶときも、劣等感からお互いに負けたくないという気持ちだったのです。そのことが分かっていても、やっぱり悲しい気持ちになります。

みんな自分の方が上だと証明したかったし、兄はゲームのルールを変えることで自分の方が強いとアピールしていたのです。私も兄に勝ちたい、負けるのではないかと思ったからこそ、彼と衝突してしまったのです。
結局、お互いに負けたくないという思いから、怒って喧嘩になるのです。負けると、自分が相手よりも優っていると証明できないため、怒ってしまうのです。

(つづく)