一字千金【ことわざ】

一字千金 Yī zì qiān jīn】 詩文の価値が極めて高いこと。

秦国の宰相・呂不韋は、自分の勢力を強めるために、賓客を三千人集め、個人の名声を高めようと、二十六巻二十余万言に及ぶ『呂氏春秋』を著しました。そして、当時の政治情勢を予測するために、その本を秦の都・咸陽の門に陳列させ、その上に、千金をぶら下げ、諸侯の遊説の士を招待して、「それに一字でも増減できる者には千金を与える」と宣言しました。しかし、それを敢えて書き直す人は居ませんでした。それは出来ないからではなく、呂不韋の権勢を恐れ、書き直す勇気がなかったからです。

「一字千金」は元々、呂不韋がこの方法で民情を把握し、国民を支配しやすいことを指しましたが、後に文字または文章が非常に優れていることを形容したり、時には、文章の中で、ある文字の書き直しが非常に重要で、千金に値することを形容するようになりました。例えば、南朝・梁・鐘栄が『詩品』の中で、「陸機が書いた十四首の詩は……、文は優雅かつ繊細で麗しく、意は悲愴で奥深く、驚き感動させられ、一字が千金に当たるくらい優れていると言える」と述べています。

今、法輪功が提唱している「真・善・忍」は正に、一字が千金に値すると言えるでしょう。

出典:『史記・呂不韋列伝』