一敗塗地【ことわざ】

一敗塗地Yī bài tú dì】
一敗地に塗(まみ)れる。戦いに負けて肝臓や脳が飛び出し、あたり一面に飛び散ることから、失敗して収拾がつかなくなること。

秦二世元年(209年)、秦朝の統治に抵抗するために、陳勝・呉広が大澤郷でむしろ旗を立ち上げ、他に多くの郡県の民も蜂起していました。沛県知事も蜂起しようと思い、沛県の山中に身を隠している劉邦(後の漢の高祖)を呼ぶつもりでしたが、後に考えを変えて、劉邦が町に入ることを阻みました。

劉邦は県民に手紙を書いて、県知事を殺すように示唆したので、県民は知事を殺して、劉邦を迎え、さらに県知事になるように頼んだのです。劉邦は「世はまさに乱れて、諸侯がてんでに蜂起しているだけに、ここで、もしも適当でない人物を選んだら、一敗地に塗れることになるから(完全に叩きのめされて収拾がつかなくなる)、やはり他の能力のある人材を選んでもらいたい」と謙遜して言いました。しかし、県民の意向で、結局劉邦が沛県知事になったのである。

「一敗塗地」は、現在、失敗して収拾がつかなくなる、再起不能の状態になることを形容します。今日の中国では共産党政権のほとんどの役人が公金を着服し、賄賂を受け取り、愛人を作って、贅沢な生活をしているので、政権はもはや再起不能の状態になっていると言えるでしょう。

出典:西漢・司馬遷≪史記・高祖本紀≫