人を惑わす脳『ヴァネッサへの手紙』(2)【未解決ミステリー】

集合的無意識(Collective Unconsciousness)

カール・グスタフ・ユングはジークムント・フロイトと並んで心理学の創始者の一人とされています。しかし、フロイトの無神論的傾向とは対照的に、ユングは神の存在を認めています。

例えば、彼は、どんな文化圏の人間であっても、心理的なレベルで共通のつながりがあり、それは意識の深い部分に存在し、遺伝子の形で代々受け継がれていくと主張しました。彼はこの深い意識レベルを「集合的無意識」と呼び、それが人間の輪廻転生や前世の記憶に対する信仰の根源であると考えています。

では、なぜこのような異文化のつながりがあるのでしょうか? ユングは、あらゆる文化の神々、天使、悪魔は同じ領域に存在し、彼らは無形の原始的エネルギーとして人間世界に影響を及ぼす能力を持っているといいます。

しかし、私たち一般人にとって、神や悪魔の世界は目に見えず、触れることもできないのに、どうしてその存在を信じることができるのでしょうか? 『ヴァネッサへの手紙』の著者ヘイワード氏は、彼らは風のようなもので、見えなくとも感じることができると言っています。いくつか例を挙げてみましょう。

偶然ではない偶然の一致

ユングの共同研究者の一人、マリー=ルイーズ・フォン・フランツは、ある日、ある店で青いドレスを見かけ、店員にそれを梱包して送ってくれるように頼みました。しかし3日後、届いたのは黒いワンピースでした。フランツは少し機嫌を損ねましたが、それとほぼ同時に、身内の死去を知らせる電報が届き、彼女はちょうど受け取った黒いワンピースを着て葬式に参加しました。フランツは、「これは単なる偶然ではないと思う」と言いました。

フランツには、自殺願望のある患者がいて、患者が自殺しないかとずっと心配していました。ある日、フランツが休暇で田舎に行ったとき、家の外で薪割りをしていると、突然、患者の姿が目の前に浮かび、2度目は切迫した表情で現れました。

フランツは斧を下ろし、「なぜ、急に彼女のことが見えたのか」「私の助けが必要なのか? で戻ったほうがいいのか?」と思いました。それでは遅すぎるし、嫌な予感もしたので、フランツは直ちに電報を打ちました。
「バカなことをしてはだめよ」という短い一言でした。

電報が届いたのは、その2時間後でした。その患者がちょうど台所のガス栓を開けたところで、玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると郵便局員に電報を渡されました。開けて見ると、たったの一言でした。はっと我に返った女性は急いでキッチンに戻り、ガス栓を閉めたのです。

考えてみれば、私たちの人生にも、このような偶然がたくさんあるのではないでしょうか? 偶然と思えばそれまでですが、運命、あるいは定めとして考えれば、これまで認識できなかったことに気づくのではないでしょうか?

これらの「偶然」についてユングは、物質と精神は深いところでは一体のものであり、エネルギーとして現れていると考えました。このエネルギーは、低い振動数では物質的なものとして、高い振動数では霊的なものとして現れます。

振動数が十分に高ければ、霊的な面にあるものが物質面に渡れるようになります。霊的な世界では、物質世界の時間や空間の概念が通用せず、時間は永遠に続くので、ある瞬間に異次元が見えたり、不思議な偶然に遭遇したりすることがあるというのです。

脳の錯覚

偶然に関する物語を話したので、次は私たちのこの不思議な脳について少し話しましょう。ヘイワード氏は、網膜の光受容細胞が17マイル先のろうそくの炎を感知できると説明しています。耳の有毛細胞は血液の流れる音を感知し、鼻は少なくとも1万種類の匂い分子を嗅ぎ分けることができます。しかし、なぜ私たちはそこまで見ることも、聞くこともできないのでしょうか?

なぜなら、私たちの脳は情報の大部分をフィルタリングしてしまうからです。毎日、私たちの感覚は膨大な量の情報を受け取りますが、それをフィルターにかけなければ、普通に生活できなくなるでしょう。脳の仕事は、この中から利用可能なもの、価値のあるものを選択して処理し、適切に対応することです。
しかし選別の過程で、私たちの脳は知らず知らずのうちにバイアスを作り出してしまうことがあります。

つまり、脳が私たちに見せているものは、実際にはそこにあるものを表していないかもしれないとヘイワード氏は言うのです。したがって「百聞は一見にしかず」も、実は真理ではないのかもしれません。

詳しくはEPOCH TVをご覧ください。
https://www.epochtimes.jp/2023/02/138755.html
 

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