高智晟著『神とともに戦う』(70)「中央政府の承認」とはどんな基準なのか②

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面白いのは、その後、我々と接触するうちに、これらの官僚がみなそろって、油井接収の正当性についての論法を少々変化させたことである。すなわち、それまでの「合法行為」説から、「中央政府承認行為」説へと変わったのである。現在、決してぶれることのない判断基準は法律であって、権力ではない。これはすでに文明社会の通例になっている。

第一に、中国の中央政府の権力は、法律のもつ権力をしのぐものではないはずだ。政府はこれまでずっとこのように(法律を超越して)やってきたが、この種のやり方は野蛮であり違法でもある。この点は誰もが承知している。物事の判断が法律以外の基準によってはならないことは明らかだ。

第二に、この中央政府の承認とはどんな判断基準なのか。「中央政府が承認」すれば正しく、合法になるというのか。地方官僚トップの頭が、共産党の自称する、いわゆる「偉大・光明・正確」に永遠に侵されてしまったのでなければ、そんな理屈にはとても信服できない。

例えば、中央政府はかつて「大躍進運動(訳注、1958年から61年まで、毛沢東のかけ声の下、農工業生産を大幅に上げる政策がとられたものの、非科学的なやり方で何千万人もの死者を出したという運動)」を承認し、史上最悪の知識人への迫害運動「反右派闘争(訳注、1957年に毛沢東が発動した知識人への弾圧運動)」も承認したし、「反革命」分子と決めつけられた人への弾圧も承認したし、10数度にわたる残酷な路線闘争も承認したし、「偉大なるプロレタリア文化大革命」や「六四天安門事件」の大殺戮も承認したし、法輪功(ファルンゴン)を信仰する同胞への弾圧キャンペーンも承認した。

これらの事例から、中央の許可が「合法、正確」を代表するとは限らないことが分かるはずだ。逆に、すでに法律という判断基準がある前提で、中央が数多くの法律事件に対し、権力を用いて承認したことは、公然と憲法や法津および法治の原則に背いているだけでなく、さらには、この中央政府が根っから中国の憲法および法律を無視していることに他ならない。これは、我々がすでに半世紀以上も直面している存在である。

陕西省の各地方政府は、朱久虎弁護士ら無実の公民を違法に拘留し続けることを選択し、邪悪、反動、野蛮さを堅持して、モラルある社会の敵となった。これは利益集団にとっては二つとない選択なのだ。冗長な交渉過程およびその結末から、我々は再度、この集団が悪事を行う際の効率の良さと巨大なエネルギー、そして、それらとあまりにも対極的なモラル、合法性および道徳的価値といった面での選択能力の低さを、まじまじと見ることになった。

2005年8月8日北京にて

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