楊氏の女将軍、鉄甲騎兵を撃破す(4)敵を誘い込んだ女兵、ついに大勝利

沼地へ引き込み、火攻めをかける

宋軍が守りを固める淤口関(おこうかん)を前にしながら、遼軍の韓昌がなおも追撃を命じたのは、女将軍・楊延琪が率いる若い女兵たちがそこへ逃げていったからです。韓昌が大声で叫びます。「追え。前方にあるのが龍の池でも虎の穴でも構わぬ。あの女兵たちを、何としても生け捕りにするのだ」。

そこで、韓昌率いる遼軍の鉄甲騎兵が追っていくと、そこは両側から迫られた細い道でした。道の左右は泥の湿地です。しかも朝の濃霧が立ち込めていて、非常に視界が悪い状態でした。

女兵たちは軽装で従軍していたので、その動きは身軽で速く、すぐに姿を消してしまいました。いっぽう、韓昌の鉄甲騎兵は、平原での戦いには強いものの、ひとたび沼地へ入ってしまえば鎧が重いばかりで全く動きがとれなかったのです。韓昌はすぐに、自軍の鉄甲騎兵が人馬ともども沼地のなかにあって、前進も後退もできなくなっていることに気づきました。

この時です。宋軍の将である孟良と焦贊があらわれました。二人が率いる守備軍は、身動きが取れない遼軍の四方から一斉に砲火を浴びせ、弓矢で射かけました。しかも驚いたことに、その沼地には、水を燃え上がらせるための油が流されていたのです。沼地は、一面の火の海となりました。

沼地は、一面の火の海となりました(イメージ画像)

遼軍の兵士が身を包んだ鉄甲の鎧は、刀槍への防御は完璧でしたが、火には全く無力でした。あっという間に猛火に呑み込まれた兵士から、悲鳴と絶叫が上がります。

韓昌はすぐに「鎧を脱ぎ捨て、沼地から離れよ」と命じました。しかし時すでに遅く、兵士たちは泥沼のなかへ次々と沈みます、ある者は焼死し、ある者は矢に射られて絶命しました。

その間、周囲の濃霧に身を隠していた宋軍の兵士が飛び出して、四方八方から攻撃を仕掛けました。運よく炎の泥沼を抜け出た遼軍の騎兵は、宋軍がもつ「長柄の手鉤」でひっかけられ落馬しています。その場所で殺されなかった者は、みな武器を捨てて投降しました。

宋の女将軍・楊延琪は、男女の兵士の一隊を率いて遼軍の兵士を完全に包囲し、じわじわと追い詰めていきます。これに対して韓昌は、今まさに十余の将を率いて、宋軍の包囲を突破するため必死になっていました。そこで韓昌は、手にした「大さすまた」を振り回し、楊延琪へ躍りかかっていきました。

韓昌と楊延琪の二人が、武器を打ち鳴らして激しくやり合っているところへ、耶律慶、土金秀、也龍など遼軍の諸将も加わってきました。

複数の敵将に囲まれた楊延琪に、危機が迫っています。その時、楊延琪が放った無数の「飛刀(投げナイフ)」が電光のように宙を切りました。韓昌だけは、かろうじてその一刀を防ぎましたが、その他の多数の相手には「飛刀」が刺さり、鉄鎧を血に染めて倒れました。

その様子を高台から見ていたのは、西域渡来の見事な汗血馬に乗ったもう一人の女将軍・王蘭英です。

「なんと娘一人を相手に、大勢の男どもが寄ってたかって、この体たらくか。恥を知れ!この剣豪・王蘭英が、お前たちに一手ばかりの授業をしてやろう」

それを聞いた韓昌が、こう答えます。「なに、王蘭英だと?お前は、楊六郎(楊延昭)の女房だと聞く。しかも以前には、我が軍の将士をずいぶん多く殺した女だな。見ておれよ。わしは今、お前たち二人(王蘭英と楊延琪)を生け捕りにする。捕虜になったお前たちは(命惜しさに)楊六郎がわしに降伏しないのではないかと恐れるだろう!」

韓昌はそう言うと、王蘭英へ何回か攻撃を仕掛けました。それはまだ小手調べの段階でしたが、なんと全て、王蘭英にひらりと躱されてしまったのです。韓昌は言います。「なかなかやるな。だが、わしの本領はこれからだぞ。見よ、この一撃を!」。

そう言って繰り出した韓昌の猛撃を、王蘭英はがしっと正面から受けました。二人は、連続して打ち合うこと十余たび。しかも王蘭英が繰り出す斬撃は、どれもが韓昌を震撼させるほどすさまじいものでした。韓昌は、心の中でこうつぶやきました。「なんてことだ。この女、武術の腕前は楊六郎にも劣らないぞ」。

二人は、さらに連続して打ち合うこと数十回に及びました。すると韓昌のほうが、次第に劣勢になってきたのです。王蘭英は、今こそ家伝の絶技「乾坤刀法」を試すため、じっと機会を狙っています。

韓昌はついに耐えられなくなり、そこに大きな隙が生じました。王蘭英の大刀が一閃すると、韓昌が身にまとっていた鉄鎧の胸が割れて、鮮血が噴き出しました。

致命傷には至らなかったものの、韓昌は大いに驚き、遼軍の陣中へ逃げ帰りました。すぐに部下の諸将に命じて、王蘭英を取り囲んで討とうとしました。しかし王蘭英は、ただ一人で遼軍の将軍たちと渡り合い、いささかも引けを取りません。

この時になると宋軍の孟良、焦贊、楊延琪などの諸将も加勢に参じて、遼軍は圧倒的に不利となっていました。全滅は、もはや時間の問題となったのです。

正午ごろになると、沼地にかかっていた濃霧は晴れました。韓昌は、葦の茂みのなかに北方へのびる道を見つけると「あそこから逃げよ!」と全軍に命じました。

韓昌は、負傷した身でありながら愛馬に跨り、生き残った兵士を率いて必死の逃亡を続け、ついに窮地を脱出します。しかし、鉄甲騎兵のほとんどが死傷する大損害を出しました。遼の将軍である韓昌、大鵬、黑塔などは幸運にも逃げ延びましたが、土金秀、也龍、耶律慶などの諸将は、王蘭英によって討ち取られました。

ここに至って、宋軍の防衛拠点である淤口関(おこうかん)のはるか手前で遼軍の鉄甲騎兵は敗北し、撤退せざるを得なかったのです。

こうして宋軍が勝利し、遼に接する国境付近は、しばらくの間とは言え、平和を取り戻しました。

勇敢に戦い、敵の鉄甲騎兵を見事に撃退した「楊家の女将軍と女兵の物語」は、それから千年の後まで、この地に語り継がれることになります。

(完)

仰岳