捕まえようとしていた獲物が逃げるのを見て、遼の兵士たちは武器と盾を次々と落とし、アヒルとガチョウを追いかけ水辺へ向かいました。アヒルとガチョウは逃げるために水の上を泳ぎ、それを追いかける遼の兵士たちも各々水中へと入っていきました。
ある日、楊延昭は再び小さな建物に住むようになり、翌朝、夜明け前に急いで起きて戦闘用の鎧を着ました。
すると、護衛兵が訪ねて来て楊延昭に言います。「こんなに早くにどこへ行かれるのですか?」
楊延昭は答えました。「遼の兵士がくる。急いでみんなを起こしてくれ!」
そのことを聞いた護衛兵は、どのように遼の兵士が来ることを楊延昭は知ったのかと疑問に思います。
楊延昭はそのわけを語ります。「目を覚ましてから寝台に寄りかかっていたら、遠くの方で馬の蹄鉄の振動が聞こえ、農場のアヒルとガチョウが落ち着きなく叫んでいたので、遼の兵士に違いないと思ったのだ」。
「宋の史」で有名な北宋の反遼将軍である楊延昭は、20年以上にわたって国境を守っており、遼人(キタン人)は彼を非常に恐れていました。遼人は六郎星座(将軍星座)を宿敵と信じており、楊延昭の知恵と勇敢さ、戦闘力はまるで六郎星座の星が地上に降りて生まれ変わったようで、彼を「楊六郎」と呼びました。