人類史のなかの神韻(四)

【大紀元日本1月3日】本稿の趣旨は、今の日本人がもっている中国人観のなかで、「中共以前から中国人は素質が悪かった」という偏見を払拭することにある。

この点を明確にしない限り、「中国人の悪さの必然的結果として中共がある」という大誤解から抜け出せないからだ。

1966年公開の米映画『砲艦サンパブロ』は、1920年代の中国を舞台に描かれた戦争スペクタクルである。映画作品を用いて歴史の考証をするつもりはないが、その中に、スティーブ・マックイーン演じる主人公の親友で中国人船員のポー(日系人俳優の岩松マコが演じている)が、激高した群集によって吊るし上げられ、大刀で切り刻まれて死ぬというショッキングなシーンがある。

それに相当すると思われる刑罰が、ラルフ・タウンゼントの『暗黒大陸 中国の真実』にも「細切れの刑」という呼び名で触れられている。正確な名称は凌遅刑(りょうちけい)で、清朝の光緒31年(1905)に公式に廃止されたが、その後の民国期に入ってもなくなってはいなかったらしい。

要するに、私的制裁を含む公開処刑の一つで、縛られた囚人の体を刃物で傷つけ、肉を削り取っていく。苦痛を与えるが、すぐには殺さない。そこが死刑執行人の腕の見せどころとなる。ただし、処刑される側の親族が執行人に賄賂をわたせば、早めに止めを刺してもらえる。

日本では、さしずめ「鋸挽き」に当たるだろうか。竹製の鋸で、わざと苦痛を長引かせながら切り殺していく。同様な思考の刑罰は、中国や欧州にも近世以前まであった。

中国のそれは、確かに残酷さにおいて「研究」の進んだ部類に入る。しかし、そのような昔の蛮風を取り上げて、今の中国人の全てを否定することは短絡に過ぎるというものだろう。まして、それによって中国共産党のもつ残虐性に「根拠」を付与することは、全くの筋違いである。

さらには20世紀の初め、近代中国の作家・魯迅(ろじん)が代表作『阿Q正伝』に描いた中国人像は、主人公の阿Qと、その阿Qの処刑を見物するため、ぞろぞろと続く無知蒙昧な群集に象徴されている。そこには、文学によって民衆を覚醒するという、魯迅なりに目指した自国民への啓蒙の願いが込められていた。

しかしそれは、魯迅自身も内包する中国人のマイナス面を自剖(自己解剖)することによって得た視点であり、中国人以外の他者に、中国人批判の材料を与えることを願ったものではない。

中国は、世界で最も人間関係が複雑なところである。

逆説的な言い方であるが、非文明で、秩序が乱れやすい場所であるからこそ、中国に大徳の士が生まれ、多くの聖人賢者が輩出されたと言える。最も文明が必要とされる環境であるからこそ、中国は文明の発祥地になった。この真理に立脚しなければ、中国という大宇宙を、日本人が理解することはできない。 

20世紀の後半、中国の現政権である中国共産党は、中国伝統文化を徹底的に破壊して、共産主義という血色のペンキで塗りつぶした。

中共は、政権を奪取する以前を「解放前」と呼び、それは「暗黒の時代であり、中国共産党が解放して人民を救った」と内外に向けて宣伝した。かつて、この宣伝に甘美な夢を見て、「新中国」のシンパとなった日本人も少なくなかったはずだ。しかし、歴史の出した結論はどうだったか。中共以後の中国人、とりわけ21世紀に生きる現在の中国人は、五千年の中国史のなかで最も不幸な状態にあるといっても過言ではないのだ。

中国の歴史は激しい。王朝の興亡をはさむ乱世には膨大な流民を生み、大量の犠牲者を出した。そこで乱れた秩序を正し、中国人を繰り返し再生してきたのが、中国伝統文化のもつ強靭な復元力に他ならない。

中国は今、かつて経験したことのない深刻な事態に直面している。それは一般の報道が伝える腐敗や汚染などの諸問題のことではない。乱れた秩序を回復させる伝統文化が破壊されて、国内に存在しないことだ。もはや自浄能力も復元力も失った病める大国。これは中国の歴史のみならず、人類史における最大の危機に他ならない。

そこに登場したのが、2007年から世界ツアーが始まった神韻公演である。

神韻の演目の全てに、中国伝統文化のもつ道徳や価値観が、最も理想的なかたちで含まれている。観客は、神韻のステージを目にしたとき、体に衝撃を受けるほどの感動を味わうのはそのためだ。だからこそ、神韻を見た人は、その日から新しい人生を生きることになる。

神韻の登場は、人類史上の奇跡である。それは、天上の神が衆生を救うために、大いなる慈悲をもって差し伸べた御手といってもよい。

どんな政治改革も、瀕死の中国にはもはや何の意味もない。 

残された唯一の道は、強大な善のエネルギーを放つ神韻の力によって荒廃した人心を回復させ、人々が道徳と優しさを取り戻すよう、正しく導くことなのだ。

多くの人に神韻を観ていただきたい。断言しよう。神韻は全人類の希望である。(了)

(牧)