国連首脳会議、 多数の団体が請願・抗議

【大紀元日本9月17日】9月14日の国連首脳会議の初日に、およそ150人の各国の元首らがニューヨークの国連ビルに集まった。いくつもの抗議・請願団体も影が形に添うように付いていた。中でも規模が最も大きかったのはファーストアベニューと47番街交差点に位置した法輪功団体とイランの二つの団体であった。そのほかに、ミャンマー軍人政府がスーチー氏を拘禁したことに対し抗議する少数の顔ぶれも国連ビルの向かい側に立っていた。

9月14日の国連首脳会議の初日に、およそ150人の各国元首らがニューヨークの国連ビルに集まった。いくつの抗議・請願団体も影が形に添うように付いていた。中でも規模が最も大きかったのは第1大通りと47街の交差の所に位置した法輪功団体とイランの二つの団体であった。

今回の請願団体の中で最も規模の大きかったのは依然として6年間も中共により迫害を受けている法輪功であった。およそ2000人の学習者が 世界各地からニューヨークに集まり、約 200人の学習者たちが国連の向かい側で煉功しながら請願した。そこにはスローガンを叫ぶ人もなく、とても静かだった。 ニューヨーク警察は、かなり緊張の雰囲気の中で、多くの警察官を出動させ、国連本部近くの数本の大通りを封鎖した。そんな中、請願は大体平和な雰囲気で行われた。

最も声を大きく上げていたのはイランの二つの団体だった。彼らは皆イランの民主・自由の実現を訴えていたが、一方は1979年宗教革命の中で打ち倒されたパーレヴィ朝継承人らで、もう片方は現行体制の改良を望む群れであった。双方とも重要な人物を招いて演説を行い、「テロ統治の停止」「イランに自由を」などのスローガンを叫んだ。

スーチー氏はミャンマーの民主運動の闘士であり、ノーベル賞受賞者でもある。請願者らの話によれば、スーチー氏は1989年から2002年までずっとミャンマー軍人政府に軟禁されたが、2003年に彼女は再度逮捕されたという。聞くところによると彼女は頭と肩に傷を負っているという。請願者らはこの事件に各国政府が関心を寄せ、彼女が一日でも早く自由を得られるように促したいといった。

法輪功は「江沢民、羅幹、劉京、周永康を法律に従って処罰せよ」「法輪功を迫害した凶悪犯と悪人を法律に従って処罰せよ」「胡錦涛よ、神と人民があなたに与えた時間は限りがある」の横断幕を拡げた。ほかにも、法輪功学習者は国連の近くの至るところで法輪功迫害真相資料と写真を人々に配り、胡錦涛氏が泊まっているホテルの入り口で待っていた。

法輪功のスポークスマンの徐侃剛氏は、法輪功を迫害した江沢民には累々たる血の債務がある、現在の中国指導者として、胡錦涛氏には迫害を終わらせ、元凶を法に照らして制裁する義務がある。もはや、彼に残された時間はわずかである。江沢民は1999年法輪功を鎮圧し始めた頃、外交のルートを通して、多数の国家に法輪功を誹謗中傷するパンフレットを渡したが、法輪功はやっと各国の在米大使館、領事館だけを通して間接的に各国の元首に真相を伝えたくらいである。そのため、今回の国連首脳会議の貴重な機会に、各国の首脳たちに法輪功の真相を伝えて知ってもらいたいという。

午後4時過ぎに、胡錦涛氏が国連本部を離れ、通った沿道には、法輪功学習者たちが横断幕を広げて請願していた。

(すべての写真:大紀元の写真庫より)

 (ニューヨーク=記者・史剣)
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