中国経済問題点
【大紀元日本12月19日】今や中国は世界の工場としての地位を確立しつつある。以前、ソ連式の計画経済を導入して久しく低迷していた経済も今や活性化され、急速に近代化を実現した現状は瞠目に値する。しかしながら、その経済変貌と共に幾つかの欠陥も次第に表面化して来たようである。
古今東西を問わず、経済というものは需要と供給がマッチして初めて繁栄をもたらす。具体的には近代資本主義社会においては、その需要と供給をしっかりと見定めて経営方針を確立した企業や事業体のみが継続的繁栄を享受出来る。ところが、現在の中国を見る限り、その点については些か解せぬことが多い。鉄鋼、自動車産業のような基幹産業はもとより、日常生活物資である食糧油生産等まで含めた殆どの業種で全国的に設備が無秩序に増設され、結果として膨大な遊休設備を作ってしまったのが実態のようだ。日本の銀行の不良債権問題については、10数年の年月と政府による巨額の公的資金の導入により漸く解決の目途がついたことは、世界中の経済人の常識である。当然その中心に不動産関係融資があったことも公知の事実であるが、土地バブルが余りにも有名になった結果、各産業分野の個々の問題点が看過された嫌いがある。実際には、土地価格の高騰がバブルを招いたことは隠れもない事実ながら、産業分野に於ける本当の頭痛の種は、むしろ結果的に発生した産業設備の余剰であった。明らかに需要をはるかに上回る設備が経済の足を引っ張ったのである。バブル華やかな時期、各種の大小工場はスクラップアンドビルドに走り、競って老朽設備を廃棄し、或は増設も含め、より生産性の高い新鋭工場を立ち上げた、一方、需要の方はバブル崩壊で伸び悩み、それに対応すべき生産側はやむなく、生産性の高い工場を更にフル稼働させて対応しなんとか生き残ろうとしたのである。その結果デフレという最悪の事態を招いてしまった。幸いにも米国の景気が持続し、中国の経済が急成長をしたことから輸出が増加したこともあって、何とか均衡を達成したのが真相である。
翻って中国を見ると粗鋼生産だけをとっても既に日本や米国の倍以上になる世界最大の生産量を誇っているが、実態は更に1億トン或はそれ以上の生産余力、具体的には遊休設備があるというのが専門家の分析と聞いている。自動車生産をとっても各地に数十社のメーカーが乱立。日米を含めた先進国では、既に集約が最終段階になりつつある反面、中国では未だその段階ではないようだ。何故、そのような現象が発生するのか?生産施設、具体的には生産工場は飽く迄需要と供給のバランスの上に採算を考えて立案され建設、増設されるべきものであることは論を待たない。しかし、中国においては、公式には、中央政府の厳しい統制があるにも関わらず、地方の当局が管轄地域の発展を熱望するあまり、中央の制止や統制を逃れて或は振り切って外資や国内企業に対し、必死の誘致政策や育成策を展開強行した結果であろう。巷間、中国人の中で、「笑面虎」と言うあだ名を付けられるほど当局の要路の人士が、甘言を弄して事業を推奨誘致し、その癖、一旦、工場が稼動すると途端に厳しくなる習性を揶揄した民衆のブラックジョークの意味するところを実感した内外の経営者も少なくない筈である。投資さえあれば誰でも工場の建設自体は可能な反面、操業を開始した途端に製品がどの程度売れるかという厳しい現実があることを理解しているようで実際には左程理解出来ていないのが実態ではないか? 勿論、一応の企業化採算や市場調査を行った上での決定とは思われるが、果たして最近雨後の筍のように建設された工場群について事前に精緻を極めるフィージビリティスタディを行った企業がどれ程あったのか疑問である。企業化採算の正確な予測は、どの国においても至難の技であるが、市場調査一つをとっても、それに耐えるだけの正確な統計データがあるのだろうか?巨大プロジェクトは見た目にも壮大であり地元住民にとっても中国近代化の象徴のように見えようが、工場立地だけをとっても原料の調達輸送はもとより、熟練労働者を含む従業員の確保や訓練、製品の搬出、公害防止、電力の確保等々のほかにも、そもそも工場用地が元々どのような土地なのか、例えば田畑であれば、設置される重機械の年間沈降がどの程度なのかも含めて周到な調査や準備が不可欠であるにも拘らず、政治や地元の意向も含めても常に最適地に建設されるとは限らないのが実情ではないのか?例えば近代工場において、設置される重機械の沈降速度に差異があれば、ベルトコンベアー式の新鋭機械を装備した新鋭工場でもその維持費は深刻な事態を招き採算への悪影響が避けられないのは近代国家においては自明の理であるが。