中国政府の呼号する「調和社会」について
【大紀元日本1月21日】新聞によれば、中国政府は人民の中でも大多数を占める弱者の怨嗟に,やっと重い腰を上げ始めたようである。その意味で、中国が、ようやく成長最優先の時代から、若し弱者救済重視への方針変更をしたのであれば、遅きには失するものの、それはそれなりに正当に評価すべきであろう。恐らくは2008年のオリンピックも、中国共産党による華麗な国威高揚の場となるのであろうが、本来大国中の大国である中国がオリンピックを主催出来るまでに回復したこと自体は、諸外国による帝国主義侵略や収奪も今や往時と過ぎ歴史上の事実として冷静に判断される時代になったということでもあろう。元々、長い歴史の中でも南船北馬に代表される自然環境の違い、少数民族を虐げ、時には中国内ですら島夷とか索虜とかとお互いに非難し合ったりした過去を含め、地理的あるいは政治的に中国を分断していた数多くの矛盾が、とにもかくにも一掃され混沌から名実共に統一国家として国際的にも認知され、一連の体裁を整え終わったこと自体、過去、秦から清に至るまで多くの大帝国を築いて来た中国民族にとってはむしろ当然の結果かも知れない。
ところで、何故、最近になって急に「調和社会」なるモットーがもてはやされるようになったのか? 最近の新聞報道によれば現在の中国では全国の僅か0・4%の家庭が国民全体の個人資産の実に60%を所有しているという驚くべき調査結果を米国投資顧問会社ボストン・コンサルティング・グループが発表した由である。その発表によると全家庭3億6千5百万戸の内、僅か0・4%にあたる159万戸が国民の個人資産の実に60%に相当する8,230億ドルを所有しているとのことである。その調査自体の信憑性はさておき、仮にこの調査の指摘する数字が当らずとも遠からずというのであれば、この数字の示す状況は中国にとって既に大変な異常事態であり、若し可及的速やかに、しかも抜本的な対策が講じられなければ、大規模騒乱や社会不安の導火線となることは明らかである。新聞によれば、中国政府は、懸案であった都市と農村の税制不平等についても、ようやく手を打ち、春秋戦国時代から現在まで連綿と続いた農業税を廃止するそうだ。 史書によれば前漢の最盛期文帝の時代に地租を暫く免除した実績こそあるが、ある意味では歴代政権のなかでも画期的な決断である反面、またぞろ財源に苦しむ地方政府が新たに別種の賦課金を農民に課さぬよう厳しい管理が望まれる。
労働者や農民の生活水準が客観的に見ても明らかに革命前の混乱に比して改善され、歴代史書に共通する大量餓死という深刻な問題は過去の話となり、欧米の中産階級も羨むような生活を営む一部の勝者達の優雅な生活が喧伝される一方で、未だ劣悪な職場環境に苦しむ無数の労働者達の惨状、あるいは工場群が無秩序に建設された反面、残念にも公害防止への投資が全く無いか、軽視された結果として、工場の排出する煙害や化学物質による悲惨な公害に苦しむ大勢の農民達、更には沿岸各省の繁栄に較べて内陸各省の重税に喘ぐ9億の農民達の生活水準の低さ等、革命後既に半世紀を経たにも拘らず、いまだに大昔と左程変わらぬ生活に喘ぐ低所得者層に対して、中央政府は過去どのような救済策を講じて来たのか? 数十年の間、社会主義計画経済を金科玉条としながら、経済発展の美名のもとに、明らかにそれと全く相矛盾する資本主義経済を、しかも急速無秩序に導入した結果、本来人民の貴重な財産である国営企業資産を性急に、且つ、いとも簡単に私欲に走る官僚や関係者に非常識な低価格で売却処分して人民の財産を収奪横領し、或いは、先進国の苦い公害問題の歴史を熟知しながらも敢えて急速な経済発展を優先するあまり、公害防止や環境汚染対策を軽視し続けた共産党支配下の中央政府の過ちは、今や中国民族全体の将来を掣肘するほどの危険水準に達しているのではなかろうか。一例として中国の七大河川が極めて深刻な産業廃棄物や生活汚水の弊害に悩まされ、度重なる規則の緩和によりなんとか対応してきたものの、最早、飲料水としての品質維持すら限界に近づき、国民の健康被害が無視出来ぬ段階に至っていることは新聞報道から見ても明らかな事実である。