ニュース・メディアの責務
4月20日、胡錦濤中国国家主席の歓迎式典において、米国大紀元の記者が記者席から中国における法輪功の弾圧の中止を求めるスローガンを叫び、結果として胡錦濤首席のスピーチを中断させるという事件が起きた。こうした行為に至るまでには記者自身のなかでいろいろ葛藤もあったようだが、当該記者の行為は、記者としての職業倫理に欠けることは言うまでもなく、一般人としてのエチケットにも欠けている。この事件は、ホワイトハウスにおいて合衆国大統領及び中国国家主席の面前で発生したという意味で、センセーショナルではあるが、この事件そのものは、大した出来事ではない。今回の事件については、事件そのものではなく、その他に部分に見逃せない点があるように思う。それは、大メディアの報道姿勢である。事件後、どの大メディアもこの事件を比較的大きく取り上げている。米国ABC放送のトークショーまでもこの事件を取り上げている。しかしながら、その原因と見られる法輪功迫害の詳細はほとんど報じられていないし、過去詳しい報道を目にした記憶がない。一読者の目から見れば、当該記者が叫んでいた中国における法輪功への迫害について興味がある。そして、大メディアは、なぜ中国における迫害を報道してこなかったのかという点により興味があり、且つ懸念している。
中国における法輪功への迫害は既に7年に及ぶという。法輪功の学習者は、7年に渡り、様々な方法で救済を呼びかけてきたそうだが、これを報道してきた大メディアは著しく限られている。日本のニュース・メディアに至っては、ほとんど皆無と言っていいのではないか。
法輪功に対する迫害については、複数の国際人権団体、米国議会等がその存在を認識しており、そのレポート及びその他関連情報によれば、名前が確認されているだけでも2千8百人以上が亡くなっており、数十万人が不当・不法に刑務所、強制労働収容所、精神病院等に収容され、そこで残忍極まりない拷問を受けている。こうした出来事にはニュース性がないのだろうか、報道価値がないのだろうか。1人の女性記者が胡錦濤首席に噛みついたという出来事よりニュース性が低いと言うのか。証拠についても、こうした事実を裏付ける証拠は相当数存在し、少なくとも、中国においてこうした弾圧・迫害が行われていることを合理的に疑うに足る証拠は充分存在する。それとも、大メディアにとっては、調査・取材を開始するに足る充分な証拠が無いということなのであろうか。