カナダに脱出した「天安門大虐殺」の民主活動家、監獄での迫害体験などを語る
【大紀元日本6月3日】中共政権に武装弾圧された大学生の民主運動「天安門大虐殺」(1989年6月4日に発生)は今年で17周年を迎える。当時3人の青年・魯徳成氏、余志堅氏と諭東岳氏は天安門広場に掲げられていた毛沢東の画像にインクや、玉子などを投げつけたため、中共から「反革命破壊罪」で、それぞれ16年、20年と無期懲役を言い渡された。後に彼らが「天安門三君子(「君子」は日本語で「紳士」の意味)」と呼ばれるようになった。国際社会が中共に対し、関係者の早期釈放を強く求める中、魯徳成氏は1998年に、余志堅氏は2001年に仮釈放され、今年2月に諭東岳氏も釈放された。しかし諭東岳氏は虐待や拷問により、重度の精神分裂症に患い、自力で生活が出来ない状況になっている。魯徳成氏は2004年様々な危険を乗り越え、タイへの脱出に成功、そして今年4月にカナダ政府に受け入れられ、現在カルガリーに定住している。大紀元記者が魯氏を取材し、当時の詳しい状況や、刑務所で受けた迫害、カナダに救出されるまでの経緯などを紹介、これからも中国の民主運動のために奮闘するとの意向を明かした。
1989年5月、学生が政治改革の実行と、官僚腐敗の取り締まりを要求するため、全国範囲で民主運動を展開した。当時、余志堅氏、諭東岳氏と私は、湖南省長沙市でのデモに参加した後、北京に出向かい、中共政権に直接自分たちの理念を伝えようと考えた。しかし、5月19日に中共政権は学生などによる平和的な民主運動に対し、戒厳令を下した。そのことで我々は「中共に頼み込んでもだめで、その政権に希望を抱くのは無謀だ」との現実に気づいた。22日夜、私たち3人は、人民大会堂前の階段に座り込み、毛沢東の画像にインクや、玉子を投げつけるという方法で抗議することを決めた。当時の行動は毛沢東個人に対する怨恨ではなく、中共政権の制度そのものを否定する行為であった。毛沢東の画像は中共の専制と暴政の象徴だからだ。
1989年6月4日に「天安門大虐殺」が発生し、大学生の民主運動が武装弾圧された。その直後中共政権は毛沢東の画像にインクや玉子を投げつけることは、「反革命破壊罪」を犯したと判断、私と余志堅氏、諭東岳氏に、それぞれ16年、20年、無期懲役の有罪判決を下した。当時北京市では大勢の大学生が逮捕されたため、刑務所がパンク状態になり、結局、私たちは出身地の湖南省に強制送還され、別々の刑務所に監禁された。