趙紫陽氏の二回忌、自宅で追悼の場所を設ける北京市民

【大紀元日本1月20日】中共前総書記趙紫陽氏が亡くなり二回忌を迎えた。中国政府は記念として公式的な動きが見られなかったが、北京市民李金平氏は人々のために、自宅で追悼の場所を設けた。

BBCの報道によると、趙紫陽氏が05年1月17日になくなってから、2年間、李氏は自宅で追悼の場所を設けてきた。そのため、去年、中共当局に連行されたことがあるそうだ。追悼の場所では趙氏の写真が飾られ、その周りには花がたくさん置かれ、「趙紫陽先生の没後2周年に哀悼を捧げる」という横断幕が飾られている。

本紙の取材に、「人々を趙紫陽先生のことを追悼し、彼のことを忘れないでほしい」と李氏は追悼場所を設ける思いを語った。「先生は中国の改革に最も貢献した方で、中国は今日まで発展し、世界に注目されているのは先生の努力がなくては不可能だったろう」と話した。

また、李氏は「80年代末、政治改革に踏み切ろうとしたのは先生だった。しかし、残念ながらいまだにその改革の傾向が全く見られていない。ご覧のように現在の専制独裁体制は社会、経済の発展を妨げおり、政治改革は行わなければならないもので、そうしないと、中国は未来がない」という考えを示した。

「この追悼活動を通じて、明るい中国のためには政治改革の必要性を人々に訴え、一日も早く趙紫陽先生の名誉回復を実現したい」また、その日の来るまで、趙氏の追悼の場所を設けていくという堅い決意を示した。趙紫陽氏のことは中共にとっていまだに敏感的な問題で、自宅で追悼の場所を設けることにより、中共当局からの干渉があるか否かについて、李氏は「今のところはまだない。少し緩めたような気がする」と話した。

李氏は元北京市公安局の警察官で、01年警察を辞め、趙紫陽氏亡き後は趙氏の遺族のことなどを世話しているという。

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