新年祝賀祭に感動:この世の人々と天国の人々との対話 -「燭光」-

【大紀元日本3月13日】3月10日に尼崎のアルカイックホールで開催された「全世界華人新年祝賀祭」は、日本人がこれまで持っていた中国の伝統文化・芸能への認識を新たにする公演でもあった。公演終了後、大阪府北部から鑑賞しに来たというある日本人の観客から次のような話を伺った。

「(祝賀祭へは)中国国内の様々な民族の伝統舞踊が楽しみで見に来ました。すばらしかったですね。華麗な衣装で、優雅に、時には勇壮に踊る様は実に美しかったです。でも、一番感銘を受けたのは、実は「燭光」でした。これは確か、自らの信仰を堅く守り、迫害に耐えながら生命を落とされた、法輪功学習者の方々の冥福と、そのような迫害の停止を祈る、キャンドルサービスのようなものでしたよね。派手さもない白い衣装をまとい、両手に灯火を持った人たちが座って静かに祈るところから始まって、立ち上がった後、祈りを優雅な踊りで表現してました。それは一見、とても地味なのですが、この演目で踊り手の皆さんは、すごい感動を私に与えてくれました。」

30代後半のこの男性はここまで話した後、しばらく沈黙し、そして再び語り始めた。

「それまで座って祈っていた、この世の人たちを演じていた踊り手たちが、いつの間にか迫害で亡くなった方々として踊っているのです。何というか、うまく言い表せないのですが、別に幕間があるわけではなく、衣装換えをするでもなく、舞踊も途切れずに続いているのですが、踊り手一人ひとりが、ある瞬間にはこの世で祈る人々を演じ、またそのすぐ後の瞬間には、身は滅びてしまっても天国で生き続け、この世の人々をやさしく見守っている人々を演じる、というような、この世と天国とが混沌としたような空間を、あいまいではなく、はっきりと演じ分けて見せてくださったのです。私はここに深い感銘を覚えました。これこそ天と人との交わりが深い中国の伝統文化の表れなのですかね」。

最後にこの男性は、「燭光」は単なるレクイエムではなく、その演目を見に来た観客一人ひとりに天国の一端を見せてくれる、すばらしい作品であったと言って感想を締めくくった。

(記者:微好)
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