【中国のことわざ】唯唯諾諾

【大紀元日本7月15日】【唯唯諾諾 wéi wéi nuò nuò】(いいだくだく)。「はいはい」と人の意見に盲従するさま。→進んで人のいいなりになることにより、人の機嫌を取り、自分の好きなように操ろうとすること。また、いくつかの故事により意味が発展し、常用の意味では、「定まった考えが無く、お世辞を言う」さまを表す。

戦国時代、韓非子は奸臣が君主の心を捉えて私欲を満たす八つの計略と解決策を述べている。そのなかの二つ目の計略に「在旁」があり、君主の機嫌をとって媚びへつらい、君主の権力を奪うこと。それに対して君主は、必ず詳しく観察してその種の「亡国の風」を防ぐべきと主張している。

また、秦の時代には、范睢が秦王に三度聞かれても、ただ「はいはい」と返事するだけで応えなかったのは、まだ交わりが浅く言葉に真実味がないため、みだりに話すのを控えていたからであり、応える気が無いわけではなかったという話がある。

また、西漢昭帝の末年、漢武帝の第五子・昌邑哀王が政治をおろそかにし、淫行がはびこっていた。そこで臣下が主君を退位させようと相談し、群臣を集めた席上、その計画を話したところ、誰も敢えて言葉を発せず、ただ承諾するのみだった。

そして、『礼記・典礼』では、「必慎諾々」に二つの意味があり、一つ目は問われなければ答えず、問われて初めて答える。二つ目は尊者の問いに対する答えには慎重な態度が必要とあるうえに、戦国時代の格言には、「千人の『はいはい(諾々)』という承諾の返事は、正当な道理を踏まえて厳格な言葉遣いで遠慮せずに自分の思うところを言う一人の言葉には及ばない」とある。

日本の昔からの制度に官僚制というものがある。これはもともと中国の制度からきているものである。この官僚制の生み出す問題に官官接待や官製談合がある。官僚制は縦割りであり、下部の機関は絶えずお上の言うとおりにし、お上の機嫌をとるために官官接待を繰り返す。そして、下部の者は昇進を目指す。また、役所の幹部と企業が結びつき、役所幹部個人の利益重視傾向と企業の接待により官製談合事件が相次いでいる。

官僚制という制度自体は決して悪くない制度である。優秀な人材を行政機関の中枢にすえることで、よりよい国になるはずだからだ。しかし、その優秀な人材の中に公共の利益を省みず、自己本位の利益誘導を行うものがいることが問題なのだ。公共の利益を考えて行動している人間がほとんどだとは思うが、表立つのはそうでない者ばかりである。どうせ、表立つのなら、唯々諾々ではなく、正当な道理に基づいて自分の考えをしっかり述べて、この国をよりよくしようという心意気あふれる人物が表立って欲しいものである。

出典:韓非『韓非子・八奸』

(編集・縁修)