清廉な名将・陶侃

【大紀元日本8月28日】東の名将であった陶侃(とうかん、259-334年)は、幼くして父を亡くし、家は貧しかった。母の湛氏は、機織で生計を立て、陶侃に勉強をさせた。その上、陶侃の道徳修養を非常に重んじた。

陶侃は若くして、江西潯陽県の役人となり、漁のことを司った。彼は使いを遣って母に塩漬けの魚の干物を一缶届けさせた。すると、母は、それをそのまま送り返し、手紙で息子をこう叱責した。「県の役人になったのをいいことに、お上の物を私に送り届けるなどして、私が喜ぶと思いますか?私の憂いを増やすだけです!」

それ以来、陶侃はどこに行っても、清廉な役人として職責を果たし、人々から賞賛を受けた。そして後に、征西大将軍となり、長沙の郡公(爵位の一つ)に封ぜられた。

(正見ネットから転載)

(翻訳・瀬戸)