「邯鄲(かんたん)の夢」枕

【大紀元日本9月8日】唐の玄宗の時代。河北省・邯鄲(かんたん)の町での不思議なお話。百姓・盧生(ろせい)はその名のとおり、粗末な家=盧(いおり)で生を営んでいた。30歳になった盧生は、黒い馬に乗り旅に出かけた。通りかかった邯鄲の茶店で、ただ生きているだけの今生(こんじょう)の境遇に嘆息をついた。立身出世の欲望を抱いて悶々としていた。その嘆息を傍で聴きつけた道士・呂翁(りょおう)が、盧生にを奨める。

これが邯鄲の枕。盧生の「欲望=栄耀栄華」の夢を叶えさせる、両端に孔(あな)のある陶器製の枕。枕にすると孔がみるみる大きく開いて、盧生の眠りはその中に飲み込まれた。枕の中の空洞は、人類と宇宙の過去を記憶し、現在を記述し、未来の事象を封じ込めたアーカイブ=記録庫。そこには盧生の過去世・今生・未来の転生も記されているはず。

邯鄲の夢は、唐代作家・沈既済の「枕中記(ちんちゅうき)」にある物語り。枕の中での出来事に嘘偽りはない。天地が検分精査した個人の歴史が漏れなく、そのままに記されるからである。盧生は3段落の栄枯盛衰の夢をみる。

① まどろむ夢の中に一軒の家が現れ、そこに住む絶世の美女と結婚する。妻の実家は名門であり、大金持ちの裕福な生活を手に入れた。官吏の登用試験に合格し、都の長官に登りつめる。軍隊を率い外敵を破って武勲を立て、文武両道にわたって人生の栄誉を輝かした。その絶頂もつかの間・・・時の宰相の讒言(ざんげん)によって、田舎の長官に左遷される。

② 3年後、再び運はめぐり中央に復帰する。皇帝を補佐する宰相へと出世し、名宰相の誉れ高い10年を過ごした。それもつかの間・・・同僚の嫉妬から逆賊の汚名を着せられ、皇帝の勅命によって捕縛される。立身出世を夢見ず故郷で百姓をしておれば、こんな悲運に会わず平穏に暮らしていたものをと嘆息した。盧生は自殺を図るが妻に制止されて果たせず、宦官の計らいで死罪を免れ辺境の地へと流された。

③ 数年後、冤罪が晴れ宰相に返り咲く。5人の息子は立身出世し、一家は繁栄した。盧生は齢80を過ぎ、病の床に伏し臨終を迎えつつあった。皇帝より見舞いの勅使が派遣された夕刻、「欲望=栄耀栄華」を叶えた盧生は息を引き取る。

盧生は息を引き取りつつ、邯鄲の夢から目覚めた。邯鄲の夢枕によって、今生に予定されている栄枯盛衰と死をあらかじめ体験した。盧生は道士・呂翁に感謝する。欲望を叶えんとする栄耀栄華がもたらす人生の永久運動=幸福の幻影を、死の体験を思い起こすことによって看破した新生・盧生がそこにいた。盧生はいう・・・「呂翁先生が私の欲をふさいで下さったのだ」。盧生のようにメンタル・スクリーンに映じた自身のアーカイブを、誰でも機会があれば見る事ができる。邯鄲の夢枕は、毎夜の眠りの途上に出現している筈のものだから・・・。

欲をふさいだ盧生は、もはや欲望の夢を見ることはない。中国に「聖者に夢なし」の諺がある。欲望の夢を見ない聖者に眠り=死はない。故郷に帰った盧生は、邯鄲の枕を懐中に秘して今生の人生の目的を果たし終えたに違いない。盧生=呂翁であること、もはや言うを俟(ま)たない。

(穂)