イスラム圏で初の女性首相暗殺、パキスタン民主化難航

【大紀元日本12月29日】少し前に亡命生活を終結し帰国したパキスタンのベナジル・ブット首相は、12月27日にイスラマバード郊外のラーワルピンディーでの選挙集会にて暗殺され死亡した。享年54歳。

インドのガンジー家同様に、パキスタンのブット家は世界の政治舞台では名門。ブット元首相の父親は民主独立のパキスタンを築いたが、最終的に自国民に首吊りさせられた。ブット元首相も同様に自国民に殺害され、パキスタンの民主化への希望が潰された。

ブット元首相は1953年に生まれ、米ハーバード大学および英オックスフォード大学で学んだ。父親アリー・ブットは1970年代のパキスタン首相で、パキスタンが独立した後の30年間において、初めての非軍事政権だった。ブット元首相は当初、政治の道を歩みたくなかったが、父親の名声によって、民衆の信頼を獲得しており、1988年~1990年および1993年~1996年の間に2度にわたりパキスタン首相を務めていた。ブット元首相はイスラム諸国の中で、初めての国民選挙による女性首相で、イスラム世界における女性の権利と民主を推進させることに対して、多くの人は彼女の再任を希望していた。

ブット元首相の夫アースィフ・アリー・ザルダーリーはスキャンダルに関与しているとされて、政府側に百万ドル以上の公金を着服したと指摘され、首相在任期間中に二度にわたり汚職スキャンダルによって解任された。

これに対して、ブット元首相は夫と共にスキャンダルを否定し、訴えられたこと自体が政治目的であると反論した。10年間の審査と尋問をわたり、ザルダーリーが告発された約18件のスキャンダルおよび刑事犯罪の有罪を証明されることはなかったが、ザルダーリーは少なくとも8年間を刑務所で過ごした。ザルダーリーは2004年にようやく保釈され出所した。ブット元首相は2007年10月の特赦が発表されるまでに、少なくとも5件の告発は立証されることはなかった。

ブット元首相は1999年より亡命生活を送り、ドバイを拠点として、西側諸国の大学にて講演し、シンクタンクおよび政府関係者と面会を行った。また、2007年10月18日に帰国当日に、自爆テロに遭った。ブット元首相は27日、選挙集会を終えた直後に暗殺された。

ブット元首相が民衆に残した最後の微笑み(AFP/Getty Images)

ブット元首相とクリントン前大統領(AFP)

ブット元首相とブッシュ大統領(AFP)

ブット元首相はイスラム諸国における初の女性首相(AFP)

ブット元首相の父親はパキスタンの首相を務めたアリー・ブット氏(AFP/Getty Images)

 (翻訳/編集・余靜)
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