【文明コラム】アクエリアスの時代

【大紀元日本5月16日】かつて米国のレーガン元大統領が占星術に執心していたことは有名だが、その的中率については賛否両論があるとしても、その筋の人によると、21世紀というものは「アクエリアスの時代」なのだという。アクエリアス(Aquarius)とは、「みずがめ座」のことで、それが暗示するものは一説によると「難民」「狂った」「高度な科学技術」「精神文明」などだそうだ。

20世紀までは、人類はその科学文明を稼動させる元となる石油、つまり「火」を追い求め、それが国益の中心であり国家紛争の原因ともなってきた。それが一転、21世紀は火から水が焦点になるというのだ。確かに、人間の身体は8割が水で構成されていて、正しく歩く「水がめ」である。

世界の人口を見てみると、第二次世界大戦の直後まではわずか20億人に過ぎず、平均すると100年で1億増というゆっくりとしたペースで増えていた。ところが、戦後わずか60年間で人口は急激に膨張し、67億人に達しようとしている。第二次世界大戦中に行った日独の人体実験の成果が、そのまま戦後の米ソのウィルス研究に引き継がれ、人類が疫病で大量死しなくなったことがその要因の一つといわれている。

また、品種改良や遺伝子技術の導入などにより、農業技術が飛躍的に向上して食料の増産が実現したことも大きい。しかし、米、麦、野菜などの増産には大量の水が欠かせないし、食肉の大量生産にも多量の水を必要とする。一般的に、先進国ほど肉の消費量が多く、その上工業製品の恩恵にも浴しているため、水の消費量は圧倒的に高いのだ。

では、日本人は一体どれぐらいの水を消費しているのだろうか。日本は実はフードマイレージの非常に高い国で、輸入している食糧品の内、小麦、トウモロコシ、牛肉の三品目だけをとっても、これの生産にかかった間接水を一人一日あたり1000リットル近く消費しており、工業製品の恩恵を考えるとそれ以上になる。

これは、国連が提示している一人一日の最低の水消費基準である50リットルを大きく超えているばかりか、アフリカの第三世界の国民が一人一日10リットル以下、それも不衛生な水で凌いでいることを考えると破格の量である。そして、深刻な問題として、水の枯渇がそれ以上に世界に拡散していることだ。

先日、隣国中国から胡総書記が来日した。中国の首席である胡総書記の来日については、チベット問題の渦中でもあり、来日直前まで国内に反対論が根強く残っていたという。では、彼はなぜそのような逆風を押し切ってまで、来日に踏み切ったのか、その真意は何だったのか。

中国の大気汚染については、マラソンの世界記録保持者がすでに北京五輪への出場を見合わせたことでもわかるとおり、既に深刻なものとなっている。中原での人口爆発と大規模な農業用水の消費、急激な工業化などによって、水についても多くの深刻な現象が検証されている。

例えば、洛陽や西安といった中華文明の発祥の地を沿岸に抱える黄河が、水不足のために年に何度も断水し、渤海に流れ込まず、普段は墨田川に毛の生えた程度になっている。そのため、河南河北はもとより、既に北京郊外数キロのところまで砂漠化が迫ってきており、これが黄砂とともに深刻な問題となっている。

そのため、前政権の江沢民総書記は、あろうことか長江から水を引いて黄河につなげようという大それた国家プロジェクトを着想したそうだ。現政権の胡総書記は、清華大卒のテクノクラートなので、そんな計画が実現するとは本気では思っていなかったのだろうが、政権を委譲されたいがために仕方なく頷く格好だけはしたというのは想像に難くない。

中国では、水が不足しているだけではない。汚れてもいる。既に、急速な工業化を果たした中国であるが、工業用排水に汚水処理プラントを備えていないので、太湖などでは大量の青藻が異常発生し、水が腐ったかのような状態になっている。さらに長江の中下流域では、垂れ流しの工業用排水のために水田がピンクの汚水によって染まりきり、村中が癌になってしまったという悲惨な例もある。

このような国内の水と空気の危機な状況に鑑み、中国の主席は来日を決意したに違いない。「…もう既に、歴史的検証を日本と侃侃諤諤やっている場合ではない。日本の優れた環境技術に援助してもらうしかない」と現実を直視して考えたのであろう。事実、今回の来日では、胡総書記は歴史問題を一言も持ち出さず、ただ、ピンポン外交とパンダ外向に終始したかのように見えたが、本音は福田首相に環境問題で縋りたかったはずだ。

日本は、今日の中国と同様に、60年代から70年代の高度成長期に水俣訴訟、安中訴訟、川崎訴訟などに見られるように、水と空気の汚染で数々の痛みを経験した結果、その浄化技術を継続して開発し、それが本来の植林技術ともあいまって、現在世界でもトップレベルの環境技術を保有するに至っている。

胡総書記は、訪日中に奈良の唐招提寺で仏閣に手を合わせて何やら祈ったと聞いたが、これには何か深い意味がありそうだ。まさか無神論の首魁である共産党のトップが、「…日本の仏様御免なさい。私は、共産主義者で無神論ですので、国内では仏教徒をはじめ、法輪功など万教を弾圧しています。どうか御赦しください」とは祈れないだろう。これでは矛盾している。

やはり、テクノクラートらしく、「…昔、奈良から唐には、多くの留学生がわが国に学びに来ました。その際には、わが国の学者は気前よくなんでも教えました。それによって日本はかつて文化的な繁栄を築いたのです…現在、中国は水と空気で困っています。どうか、日本の環境技術で何とかしてください…」と密かに祈ったのかもしれない。

今年3月、中共はチベットに中共軍を進駐させ大弾圧に踏み切ったが、なぜ五輪を控えたこの微妙な時期に国際世論を騒がせるようなことを敢えてしたのだろうか。一つには、リチウムなどの鉱物資源がチベットに豊富にあるからだという見方があるが、見落としてならないのは、ヒマラヤに水源があるということだ。

ヒマラヤの水源は、中国の長江だけでなく、インドのガンジス河や東南アジアの動脈であるメコン河にとっても同様であり、もはや国内で水が枯渇しがちな中国にとっては、確実に水を確保できる長江の水を絶やさないための最後の命綱なのだ。今なお人口爆発しているにもかかわらず、居住可能面積が国土の四割弱しかないということを考えると、ここを外国の勢力に押さえられた場合、大量の中国人が水が原因で難民化する恐れがあるのだ。

現在、日本では道路特定財源なるもので国会が紛糾しているが、石油の埋蔵量を考えれば、もう自動車を大量生産する時代は終わりを迎えようとしている。ましてやアスファルトの道路は水を弾いて国土の保水力を落とし、天からの恵みである降水を反故にするようなものだから、もはやさして必要ないだろう。それよりも、水と空気の浄化技術と植林技術という環境技術を「三種の神器」として輸出すれば、全地球規模で「アクエリアスの時代」に貢献でき、しかもそれ自体がビッグビジネスになる可能性を秘めている。もしかしたら、近い将来、「日本産のペットボトル水」も輸出用のブランド品になる日が来るかもしれない。