米元運輸長官、都内で講演

【大紀元日本3月20日】日系米人として初めて政権閣僚入りし、クリントン政権下で商務長官、その後のブッシュ政権下でも運輸長官を務めたノーマン・Y・ミネタ氏が19日午後、笹川平和財団の招きにより来日、都内虎ノ門の日本財団内で、日米の架け橋として活躍した半生を振り返り“Bridging the Divide”という演題で講演を行った。

ミネタ氏は、カリフォルニア州サンノゼで出生したが、父は静岡県の三島市を14歳で後にし米国に渡った。第二次世界大戦中は、米国社会の中で厳しい指弾に遭い、ワイオミング州の日系人収容所で数年を過ごし、このときに「声無き人のために代弁者となろう」との決意が芽生え代議士への道を歩みだしたという。

ミネタ氏は、1953年にカリフォルニアのバークレー校を卒業、その後陸軍に入隊し、情報将校として日本と韓国で勤務し、サンノゼ市議を経て、サンノゼ市長に当選した。1974年に民主党下院議員に当選、1995年まで20年以上に渡り下院議員を務め、2000年から2001年までブッシュ政権下で商務長官、2001年から2006年のブッシュ政権下でも運輸長官を務めた。

ミネタ氏は、昨年の民主党大会で、クリントン政権下で商務長官に抜擢されたにもかかわらず、オバマ氏を支持した経緯に触れ、「大変に苦渋の決断であった。しかし、本当に米国民のことを考えたなら、経済の再生を訴えたオバマ氏を支持せざるを得なかった。個人の義理より、国家の大義を優先した」との苦しい胸の内を明かした。

ミネタ氏は、現オバマ政権が日米関係を重視していることを強調、政権発足後に始めてホワイトハウスに招聘した外国閣僚が麻生総理であった事実を挙げ、日米のパートナーシップにもっと日本人自身が自信を持つべきとの見解を数度繰り返し、経済だけでなく六カ国協議など多角的な連携が必要との認識を示した。

(記者=青嵐)

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