<評論>中共の「最も…」の先に待つものは?
【大紀元日本11月1日】1949年以降、中国共産党は中国に関してさまざまな「最も…」を創り出してきた。「最も」幸せな国民、「最も」先進的な社会制度、「最も最も」偉大なリーダー、さらには、共産党の指導下にある中国社会は人類の知識が発展した末の「最」高峰、といった具合である。しかし、政権樹立30年にして、共産党はついに、「崩壊寸前に至った」ことを認めた。_deng_小平の改革開放が始まって、中共は自らが遅れていることを認め始め、さまざまな「最も」の中で陶酔することを止めた。しかし、ここ数年、改革の必要を唱える声は次第に聞かれなくなり、「最も」が再び唱えられ始めた。
最新の「最も」は、中国の御用作家で、前文化部長の王蒙(ワン・モン)が、ドイツのフランクフルト書展で創り出したものだ。彼は国際メディアに向かって、中国は今、「文学にとって『最も』すばらしい時期だ」と語った。この新しい「最も」は明らかに、外国人には説得力に欠ける。「最もすばらしい文学時期」なのに、世界にすばらしい作品を披露できていないからである。まじめな性格のドイツ人にとって、この「最もすばらしい」は、疑わしく検討に値する言い方にすぎないが、大多数の中国人は、またしても御用文人が創り出した虚言だと、わかっている。
最近10年、中国では「最も」が次々に現れた。「人権が『最も』すばらしい時期」に始まり、中国は「『最も』民主的な社会制度」といった具合で、人々は一旦は苦笑するも、そんな戯れごとに耳を貸さない。さまざまな「最も」の中で最も創造的なのは、おそらく前香港大学教授・張五常氏の「中国は『最も』すばらしい社会制度だ」という説であろう。改革開放が始まって以来、役人が宣伝する「最も」は、いずれも己の過去と今を比べてのものだったが、張教授は、あえてその他の国と比べたわけで、そこから出された結論はもちろん、中国の役人を喜ばせるものとなった。