英国バイリンガル子育て奮闘記(18)

【大紀元日本1月18日】

幼稚園(1992~1994年)  サモア人のベビーシッター

幼稚園に通い始める前、教会主催のマザーズ&トドラーズのグループで知り合ったサモア人がいた。彼女が面倒をみていた女の子とうちの娘が遊ぶようになり、行き来するようになった。住み込みの子守りのことをイギリスではナニーと呼ぶ。彼女は郊外の家庭のナニーさんだった。

常に明るい。寒い冬でも半袖姿でケラケラと笑い転げている。さすが太平洋の孤島の出身者だけあって、水泳は上手。彼女に面倒をみてもらった子供たちは、ちょくちょくプールに連れていってもらえるので、皆泳ぎが得意になる。がっしりとした体つきなので、子供を背中で負ぶいながら、あと二、三人の面倒がみられそう。子供の面倒を見る際に、責任とか保険とか口うるさいイギリスの規則はどこ吹く風で、他のお母さんが病気だったりすると、その人の子供の面倒もついでにみているようだった。困ったことがあったら分かち合う、助け合うという当たり前の精神そのままで生きている人だった。

まわりに日本人がいない環境で娘を日本語で育てている私の事情を知ると、「家の中がサモア語で学校では英語(アメリカ領だからだろう)だった私と同じ」と言って、私のバイリンガル子育てのために一肌脱いでくれた。その日から彼女の日本人ハントが始まったのだ。道行く東洋系に「日本人ですか?日本人だったら、友だちがいるんですけど」と端から声をかけたとのこと。

おかげで縁のある人に出会えた。日本在住だけれどイギリス人の夫の両親がコーンウォールに住んでいるので、子供を連れて時々こちらに来るというバイリンガル家庭。バイリンガル子育ては、周りに合わせるわけにもいかず、ケースバイケースなので、あらゆる状況での情報が実に貴重だ。ちょっとした一言からアイデアをもらえたりする。これ以来会うたびに、バイリンガルの言語発達やバイカルチャーの情緒安定について交換させてもらい、今も年賀状が続いている。

(続く)