チベット蜂起記念日 厳重警備のラサvs記念活動の世界各地

【大紀元日本3月11日】中国共産党政権の支配に対するチベット民衆の抗議が人民解放軍に弾圧され多くの死者が出たのが、1959年3月10日。チベット民族蜂起記念日と呼ばれるこの日から、今年で51年目となる。世界各地でチベット人や支援者らが、追悼行事と支援デモ活動を行っている。

キリスト教新聞社によると、ベルリン、フランクフルト、ハンブルグ等を含む独24都市でチベット民族蜂起記念日の10日に、チベットを支持するデモ行進が行われた。

このデモ活動は独チベット創始協会と独チベット人協会が発起したもの。同協会は1996年に、「チベットのために一日旗を揚げる」活動を創設した。イツの一部地方政府は、これに対し毎年積極的に応えている。シュヴァービスチェ・ポスト(schwaebische-post)など地方紙は10日、現地地方政府がチベット旗を掲げチベット人に対する注目と同情の意を表すと伝えた。

その日、インド北部のダラムサラや、台湾、米国でも一連の記念・支援活動が行われた。

インドのKolkataで支援者が行った追悼記念活動(DESHAKALYAN CHOWDHURY/AFP/Getty Images)

一方、チベットの首都ラサでは、高度な警戒態勢が敷かれている。厳重武装の公安や武装警察が至る所で見られる。街頭のパトロール兵は制服ではなく、黄色と黒のスポーツウェアを身に着けて民衆にまぎれ、一部の男性は建物屋上でジョカン広場やパルコル(八廓街)を往来する人々を監視しているという。また、同市の西約3キロに位置する広大な公園ラプリンカ(羅布林卡)の周囲にも多くの特別警察が配備されている。

AFPの報道によると、中国共産党チベット自治区党委員書記である張慶黎氏は9日、チベット精神指導者ダライ・ラマがチベットを混乱させていると激しく非難した。「もし反華勢力がいつも撹乱せず、ダライラマの分裂集団がいつも騒ぎ立てなければ、チベットは今より良い状態のはずだ」、「ダライラマ集団が我々の調和と安定の破壊を企てようとも、我々の良い願望は阻止することは出来ない」と同氏は話している。

1959年3月10日、ラサ市は緊張した雰囲気に包まれていた。多くのチベット人が街頭でスローガンを貼り、中国共産党がチベットから離れることを大声で訴え、連行されることを心配し、チベット軍区第一政治委員・張経武主催の歌舞劇へ参加しようとするダライ・ラマ14世を阻止していた。同年3月17日深夜、ダライ・ラマはインドへ向かうためラサを離れ亡命の生涯が始まった。以来、チベット人亡命者は3月10日をチベット民族蜂起記念日としている。

(翻訳編集・坂本/趙MJ)
関連記事
香港では「国家安全法」を導入したことで、国際金融センターとしての地位は急速に他の都市に取って代わられつつある。一方、1980年代に「アジアの金融センター」の名声を得た日本は、現在の状況を「アジアの金融センター」の地位を取り戻す好機と捉えている。
メディアのスクープ話が世の中を動かす。特に最近は「文春砲」など週刊誌メディアの元気が良い。同時に報道のありかたが問われている。国が国民の幸福を奪うことがあったら、ある程度、国家権力の作ったルールを逸脱する「反社会性」を持ち、戦わなければいけない時がある。記者は反社会的な面を持つ職業で、メディアは反社会性を持つ企業なのである。
米空母、台湾防衛態勢に 1月29日、沖縄周辺海域で日米共同訓練が挙行された。日本からはヘリコプター空母いせが参 […]
上川陽子外務大臣は、パナマ在留邦人及び進出日系企業関係者と昼食会を実施した。日・パナマ間の経済分野における協力の可能性や課題、教育などについて、意見交換を行った。
2月23日午後、上川陽子外務大臣はパナマ運河視察を行った。日本が主要利用国であるパナマ運河の安全かつ安定的な利用環境確保に向けた連携を維持すると表明