英国バイリンガル子育て奮闘記(31)

【大紀元日本4月19日】

小学校低学年 (1994年9月~1997年7月)

幼稚園、レセプション・イヤーは、少人数の私立だったが、折りからの不況で生徒数も減り、こちらの懐も不安になっていたので、公立校をあたってみた。当時のイギリスでは、学区制にはとらわれず、親が学校を選べるようになっていた。当時、人気があったのは、町から外れた村にある小さな小学校。町中と違い、1クラスの人数が小さく指導も行き届くというのが人気の要因。しかし、実際に校長先生に会ってみたら、学校は、生徒を抱え込み過ぎて、パンク寸前状態。校庭を広げる余地もない。

もう一件、人気の高い、町中の小学校に行ってみた。私立なのか公立なのか分からないくらい、皆、礼儀正しい。2年生のクラスを見学させてもらったが、下校前の生徒に先生が「自分のまわりを見て。何をしなければいけない?」と静かな口調で語っていた。子供たちは周りを観察した後、部屋を整頓しはじめた。

校長先生も、教育熱心。学校案内のカタログもお金はかけず、基本的な情報だけ。それだけのお金があったら、学校の設備をよくできるという方針を説明してもらった。バイオリンなどの個人レッスンも受けられるということで、楽器も並んでいた。

というわけで、家に帰ってから夫と相談します、なんていう段階を置かず、その場で入学させてもらうことにした。

娘には、「ここは本当にいい学校で、入れるのは有り難いんだよ」と門から校庭を覗かせたりして、心の準備をしてもらった。

体験入学の後、校庭のジャングルジムで遊んでいる娘に向かって、大声で「もう帰るよ!」と日本語で叫んでみた。周りの子供も親も、誰も私をジロジロ見ることはなく、気に留める人もいない様子だった。「この学校なら大丈夫。バイリンガル子育てが続けられる」という手応えがあった。

(続く)