元中共宣伝部長の朱厚澤氏逝去 政府系メディア報道せず
【大紀元日本5月11日】9日朝、貴州省委員会書記、中国共産党中央宣伝部部長を歴任した朱厚澤氏(79)が、北京で鼻咽癌により死亡した。80年代の改革派の人物で、在任中は異見に対して「寛厚、寛容、寛大」な政策で対応することを打ち出したことで「三寛部長」と呼ばれていた。
朱厚澤氏の逝去について、政府系メディアは報道をしておらず、その訃報も家族から出したものだけで、関連追悼活動および文章もツイッターや一部ネットユーザーのサイトで伝えられているのみだ。関係者によると、北京市海淀区の玉淵潭南路にある朱家付近には多くの軍警察が配備され、厳戒態勢が敷かれているという。
1985年に貴州省委員会書記から中国共産党中央宣伝部に転任した朱厚澤氏は中国共産党の歴史上、最も見識のある宣伝部長として知られている。胡耀邦元総書記が失脚後、朱氏は「ブルジョワジー自由化のシェルター」と批判された。1989年天安門事件後、朱氏は再び批判を受け、政界から身を引いた。
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