英国バイリンガル子育て奮闘記(46) 日本のお友だちが遊びに来た (1996年頃) (上)

【大紀元日本8月2日】小学校2年生の学年末にあたる7月の末、日本の旧友が家族を連れて遊びに来た。ご主人の勤続10年で、夏休みが長くとれるとのことで、一週間、コーンウォールに滞在してくれた。英国の公立小学校は7月25日頃まで授業があり、日本の小学校は20日に終わる。この差を利用して、 子供二人(長女は娘と同じ学年、長男は2歳年下)を是非、アンの通う小学校で見学させたいという依頼を友人から受けた。

早速、担任の先生に尋ねた。校長先生に一言伝えてと言われ、校長先生に、「日本から友人が来るんですが、子供二人が娘のクラスを見学できますか」と口頭で尋ねたら、二つ返事で承諾が得られた。日本の小学校に入れる際は、教育委員会とのコミュニケーションが必要だったので、管理体制の大きな差を感じた。

英国の小学校は公立でも制服がある。女の子は夏服のワンピースがすぐにみつかった(色の指定があるだけで、そのへんのスーパーですぐ購入できる)。男の子の方は、夏は短ズボンなので、結局、日本の小学校の入学式のために買い揃えたお子様用の正装着一式で2日間の体験入学をこなすこととなった。

子供たちは英語が全く分からないので、 友人も教室に残ることにした。そして、私は通常の時間にお迎えに行った。外で待っていたら、かわいい帽子をかぶった短ズポンの東洋系の男の子が出てくる。私にとってはフツーの日本人の子だが、地元のお母さんにとっては「かわいさ」の極みのようで、ファンクラブができそうな感じだった。金髪の男の子が日本の教室から出てきたら、 日本人のお母さんたちが「うっとり」してしまうのと同じ感覚なのだろうか?

異文化の狭間で分かち合う友人もなく、文化様式の違いをひとりで消化しなければならなかった娘にとって、日本での友達がいきなり英国の自分の生活環境に入ってくれたことは、何よりもありがたいことだった。

  (続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。