英国バイリンガル子育て奮闘記(50) ホームステイの日本人(下) (1990年代)

【大紀元日本8月30日】毎年、高校生が家を訪れてくれるのは、娘のバイリンガルの刺激になったようだ。高校生たちにとっても、日本語で息抜きができ、「家は毎日ジャガイモばっかり」とか、本音を出す場になっていたようだ。

最初の頃は、私がひとしきり子育ての話をしていたが、娘がある年齢に達した時、トランプでお兄さん、お姉さんとゲームをするようになり、お茶を出した後は、私はお呼びではなくなった。結局、台所で引率の先生と、日本の不況や転職の可能性を話すことに明け暮れた。

滞在するのは高校生に限らなかった。全く思いがけない時期に、成人した方がペンザンスに個人的にホームステイすることもあった。お陰でいろいろな方と巡り会う機会に恵まれた。年配の女性の方からは、親の世話、義母さんの世話など、これまでの人生の経緯などをひとしきり伺い、一緒に泣いたり、笑ったりさせてもらった。皆、思うところあって決断して英国ホームステイの道を選んだようだった。

国際機関が斡旋するホームステイなので、アメリカ人やドイツ人も受け入れ先の家庭に滞在していた。地元には英語学校もないので、夏になると地元の学校を借りて、英語のクラスが特別に設定される。そして地元の人間が教師として雇われる。

お兄さん、お姉さんとトランプ遊びをしていた娘が、ある年から突然、英語の先生としてドイツ人と日本人に英語を教えることになった。年齢が生徒に近いため、すでに指定された教材も、つまらなそう、生徒の反応が鈍い、と感じたら、即座に捨てて、ゲームに変えたそうだ。おとなしそうな日本人の気持ちが汲み取れて、発言してくれたと喜んでいた。そして、後日、その子が一生懸命英語で書いた手紙が、 日本から娘あてに届いた。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。