世界最高のチェリスト ヨーヨー・マ 「まずは一人の人として、そして音楽家」

【大紀元日本9月26日】中国人の両親の間に生まれ、フランス、アメリカで生活した多様な文化的背景によって、彼の音楽には、中国人の奥深さとフランス人のロマンチック、そしてアメリカ人の自由と革新がもたらされた。

彼の名はヨーヨー・マ(馬友友、YO-YO MA)。「世界一のチェロ演奏家」と称賛され、世界で最も権威ある音楽賞と言われるグラミー賞を15回受賞した。

ヨーヨー・マはフランスのパリの生まれで、4歳の時からチェロを学び始めた。7歳の時、両親とアメリカに移住し、そこで世界的に有名な作曲家で指揮者のレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)と出会った。その年、ケネディ大統領夫妻と5千人の観客を前に演奏し、大きな喝采を得た。

その後、彼はアメリカ最高のチェロ奏者レナード・ローズ(Leonard Rose)からチェロの演奏を学んだ。17歳の時に、ハーバード大学に入学し、人文、歴史、文学、人類学などさまざまな領域の知識を広げながら、音楽の造詣を一層深めた。

1998年、ヨーヨー・マは「シルクロード」という名の楽団を創立した。世界20か国から集まった団員で構成され、「シルクロード」という名の通り、音楽の道を通して、世界の各民族や各国の伝統文化を一つにつなげることを主旨としている。

2010年8月、中国語週刊誌「新紀元」の独占インタビューを受けたヨーヨー・マは、自分が歩んできた音楽の道のりと、中国伝統文化が自分の人生に与えた影響などについて語った。

以下、その一部を紹介する。

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: あなたは幼いころから西洋の古典音楽を学んだそうですが、中国の音楽を学んだことはありますか。

: 私と姉は、幼いころから音楽教育家の父に中国の音楽と民謡を教えてもらいました。それは、私たちが毎日受けるレッスンの一つでした。

: 音楽の「楽」は「薬」という字の一部となっており、治愈する意味を含んでいると思いますが、音楽が人に与える影響についてどう思いますか。

: 中国の伝統文化では、音楽は人の精神世界に巨大な影響力を与えると考えています。私の見方も同じです。人の肌に直接触れるという行為は、とても不思議なパワーを持っており、そうすることによって、人の心にとても大きな治療効果を与えることができます。たとえ話すことができない人であっても、彼の手を温かく握ることによって、心を慰めることができます。音楽も同じで、年をとった人であれ、病気にかかった人であれ、あるいは、生まれたばかりの赤ちゃんであっても、まるで人の肌に直接触れるかのように、彼らの人生に大きな影響を与えることができます。今多くの人が、音楽が果たす治愈効果について語っています。音楽は心を慰める効果があるだけではなく、治療の効果もあると思います。 

: 中国の映画「グリーン・デスティニー」の曲を、中国人特有の趣きあるスタイルで演奏しましたが、西洋社会で生まれ生活してきたあなたは、どのようにして中国人が持つ情感溢れる世界を把握することができたのですか。

: これは私の家庭の背景と関係があると思います。父はストーリーを語るのがとても上手な人で、私と姉は小さいころから中国の三国志、諸葛孔明、曹操など、数えきれないストーリーを聞いて育ちました。これらのストーリーは、儒家の仁、義、礼、智、忠、孝の思想や道家の思想、仏家の理念など、中国の伝統文化と価値観の種を、幼い私の心に植えつけてくれました。私は中国で生活したことはありませんが、中国の伝統文化と価値観は、すでに私の大切な生命の一部となりました。

そして、大学の時には、中国の歴史と文学を学びました。アジアへ旅行したときに、香港、台湾、日本、中国大陸を回ってきました。それを通じて、異なった側面で中国の文化を理解することができました。これらのアジアの国の中で、特に日本は、儒教の伝統的なものを数多く残している国だと思います。

: 孔子の言葉に、「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず」というのがありますが、あなたは自分の人生の中で、今どの段階にいると思いますか。

: 私は物事がわかるのが遅く、50歳の時、孔子のいう40歳の段階でした。54歳の今になってやっと、人生の多くのことが少しずつわかるようになりました。60歳になった時に、自分に与えられた天命の何たるかを知ることができればいいと願っています。

: 自分の人生の中で、重要な段階はいつだったと思いますか。

: 私の人生にとって重要な段階は、自分が経験した二つの「初めて」のことと関係しています。最初の「初めて」の経験は、大学に入って音楽以外の世界と接した時でした。ハーバード大学に入った時、私はすでに10年のチェロ演奏経験がありましたが、大学に行って多くの音楽関係以外の若者と出会いました。彼らが考えること、やっていることは、私とは全く違うものでしたが、自分がやっていることと夢に夢中になっていました。中には、心理学、人類学、天文学、文学などさまざまな領域を専攻する人がいて、まるでみんなが異なる宇宙からやって来て、その宇宙の異なる世界観を代表しているようでした。その中で私は、さらに広い世界を見つけました。ハーバードの寮の中にいると、まるで500個の異なる国を旅行しているような感覚でした。大学でのこの経験は、私の思考の形成にとても大きな衝撃と影響をもたらしました。

私の人生の2番目に重要な段階は、「初めて」父親になった時です。20歳の時には、人生はまだ先が長いと感じ、自分が老いる日はなかなかやってこないと思っていましたが、子供ができると、自分はいつまでも若くいられないことに気づきました。自分中心だった生き方も一気に変わり、「愛」についても異なった理解と感覚を持つようになりました。例えば、子供ができる前は、自分がいつ死んでも恐れることはないと思っていましたが、子供ができてからは、「私が死んだら子供はどうなるのだろうか」と考えるようになりました。

行動などにも変化が起きました。例えば、昔は気軽にペットボトルなどを捨てていましたが、子供ができた今は、子供のために地球の環境を保護することを考えるようになりました。教育に対してもいっそう関心を持つようになり、世の中の人々がどのようにすれば、もっと良い生活を送ることができるのかと、他の人の生き方にも関心を持つようになりました。

: 外国で生活し、様々な国を旅行した経験を通して、多くの違った文化を体験することができたと思いますが、これらの体験は音楽の創作にどのような影響を与えましたか。

: 音楽にとって最も重要なのは、人の心の内なる世界に入ることです。まるで、その人の家を訪れるのと同じです。世界旅行をしていた時、私はさまざまな場所を訪れました。それはまるで異なる人の家を訪ね歩くようなものでした。彼らを通していろいろな角度から外の世界を見る時、見るものはすべてが違ったものになりました。このようにして、私は多くの違った角度で物事を見ることができ、同じことに対して、異なる理解を得ることができました。

: 楽団「シルクロード」は、音楽の表現力とスタイルを広げましたが、先駆者たち(古典の音楽家)が歩んだことのないこの道を、どのようにやり遂げたのでしょうか。

: まずは、豊かで絶え間ない想像力が必要だと思います。そして、想像力を現実にする行動力が大切です。建築士は紙の上にひとつの建物を構想できます。音楽家は想像力でひとつのミュージック・ホールを作り上げます。何もないところから、すべてがあなたの想像力によって組み立てられます。それから、それを現実のものとします。生活の知恵と問題を見る角度を変えることが、想像力を豊かにする源だと思います。

: 自由は芸術家にとってとても重要です。もし思想の自由、表現の自由がなければ、芸術家は社会に対する芸術の使命を果たすことができないと思います。権力の抑圧も恐れず、芸術家としての使命を果している人々について、どう思いますか。

: 私は、音楽の価値はひとつの深い内包を表現することにあると思います。何がこれらの芸術家の創作の動力になったのか、彼らが表現したい内容は何であるか、私も知りたいところですが、彼らにはきっと大きな原因があると思います。表現の手法として、コントラストは創作にとって基本的な要素です。例えば、同じ出来事であっても、中国で起きた時とアメリカで起きた時はどのように違うのか、異なる世界の物事を一つの舞台で表現することによって、鮮明な対比を描くことができます。その対比を通じて、政治のテーマや社会が関心を持つ現象を表現することができると思います。私は、これらの芸術家たちはきっと自分のためではなく、ひとつのもっと大きなもののために、自分を超えたと思います。

: 毎年100回以上の公演があるのですが、家族と一緒に過ごす時間は十分にありますか。

: これまでの30年のうち、おそらく20年は旅行と公演の中で過ごしてきたと思います。家庭のほとんどの責任は妻が背負ってくれました。しかし、彼女は私に一度も良心の呵責を感じさせたことはなく、子供たちをよく育ててくれました。私が公演に出るたびに、彼女は、「パパはとても大切なことをするために出かけるのよ」と、子供たちに言ってくれます。二人の子供もとても物事をわきまえ、家族のことを大事にしてくれます。私もできるだけ二人と一緒にいる時間を作るようにしています。今、二人はもう成人し忙しくなったので、家に居る時間も徐々に少なくなりましたが、家族みんなが一緒にいる時は、とても楽しく過ごしています。

: 立派な男性の後ろにはすばらしい女性がいるとよく言われますが、奥様についてお話しいただけますか。

: 私は妻に、「きみと一緒でなかったら、私は何回死んだかわからない」とよく言います。私はとてもそそっかしい人間で、車のスピードを出しすぎたり

ヨーヨー・マ氏と妻のジルさん(Getty Images)

、チェロをタクシーの中に忘れたり、階段から転んだり、よくします。もし彼女がいなかったら私はどうなっていたか、本当にわかりません。彼女は温かい心と聡明な頭を兼ね備えた不思議な女性で、私に巨大な愛を与え、支えてくれました。そしてすばらしい判断力も持っています。彼女にはいつも感謝しています。

: 尊敬する人物はいますか。

: 有名なチェリスト、パブロ・カザルス(Pablo Casals)です。彼を尊敬するのは、彼が次のような言葉を残したからです。「私はまずは一人の人間であり、その次に音楽家で、第3にチェリストである」。この言葉はとても美しく、いつまでも忘れることができません。私はこの言葉がとても好きです。そして、それを信じます。彼は人生をこのように送ってきて、多くの決定もこの信念に従って行いました。

(翻訳編集・柳小明)