ノーベル平和賞中国人候補者、未だに行方不明=デンマーク国家放送局

【大紀元日本10月13日】今年のノーベル平和賞は中国の反体制者・劉暁波氏に授与されたが、実はもう一人の中国人候補者であった人権派弁護士高智晟氏がいまだに行方不明であることはまだ周知の事実ではないようだ。デンマークの国家放送局(DR)は平和賞公表の直前に、ニュースで高智晟氏の状況を報道した。

「今日、オスロでノーベル平和賞の受賞者が公表されるが、一人の中国人候補者の高智晟氏はいまだに行方不明である」「人権弁護士であるため、中国当局はずっと彼を抑えてきた」「再び行方不明になる直前に、高智晟氏は家族の安全のため、中国当局への異議申し立てを止めると発言していた」などの内容が報じられた。

今年4月、自宅で軟禁中の同弁護士は、新疆ウイグル自治区在住の妻の両親を見舞いに訪れた後、私服警官ら数人に同行されたまま現地を離れ、行方不明となった。

高智晟弁護士は、社会的弱者の無料弁護を引き受け、正義を追求してきた。中国全土に知られるようになった高智晟氏弁護士は、2005年から、中国当局に非合法とされ、弾圧されている法輪功について、3度にわたり最高指導部に公開嘆願書を提出し、弾圧の違法性と残虐性を訴え、弾圧停止を求めた。そのため、同弁護士自身も中国当局の弾圧の対象となった。法律事務所が強制閉鎖されたほか、2006年12月22日、「国家政権転覆罪」で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた。その後、同弁護士と家族は長期にわたり自宅に軟禁された。軟禁される間、何度も行方不明のハプニングが発生した。

2009年2月4日、高弁護士は故郷の陝西省に帰省する際に、警察に強制連行され、1年以上行方不明となった。家族が警察当局に再三問いただした結果、「迷子になって戻ってこられなくなった」との説明が返ってきた。また、中国外交部の報道官は、定例記者会見で同氏の所在を聞かれた際に、「彼は然るべきところにいる」と回答した。

今年3月、高弁護士は一時、公に姿を現した。その直後の4月中旬に、新疆ウイグル自治区在住の妻の両親を見舞いに訪れた直後に、私服警官が同行する中再び行方不明になった。

高智晟氏の夫人と長男、長女は2009年3月頃、中国から脱出し、現在は米国で難民として保護されている。

今年7月6日の米紙「ワシントン・ポスト」の社説でも、同弁護士への中国政府の迫害を報道され、オバマ政権は彼の失踪に関して即刻の行動を促した。

高智晟・人権弁護士は、2007年、米国弁護士協会の「勇敢なる提唱者賞」を受賞。ノーベル平和賞の候補者になるのは、2008年に続いて今年で2度目である。

(翻訳編集・叶子)
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