【党文化の解体】第5章(12)

【大紀元日本10月14日】

3.党の話を聴け、党について行け

3)「党について行く」についての幾つかのパターン

共産党はもはや過去の共産党でなくなり、その上、今日、共産党が言っていることを信じる人が誰もいない。民衆は皆ささやかな生活の安泰のために忙しく、党について行く人がいるのか。今日の人々は共産党に対して、皆面従腹背しており、少数の大胆な人は、共産党が彼らについて行くようなことすら考えている。いつか、共産党も身も心も入れ替えるかもしれない。今日の中国人は上記のようなことを考えている人がいる。

このような考え方は、実は是に似て非である。実際の行動に移っていない思想(考え方)はまるで約束できていない小切手のようなものだ。その思い自体はそれほど大した価値を持っていない。民衆が酒の席で或いは日記の中で共産党を罵ることについて、共産党はちっとも怖がらないのである。何故ならば、言論の自由を奪うということは、暗室の内緒話や裏腹などの権利を一概に奪ってしまうことも当然できないことはないが、しかし、暗室の内緒話や裏腹が許されていることは決して言論の自由が許されているとは限らない。公な場面に入れない言論は当然普遍的な行動へ移ることもできないし、より現実的意義のある影響力を施することもできない。

以下、今日未だに「党」について行く中国人について、その幾つかのバターンを分析してみよう。

自明にして党について行く人。一部の人は中共のごろつき邪教的本質についてははっきりくっきり見抜いている。しかし彼らは私利私欲のために、邪党に順応してついて行く。「党」もこれらの人の黒心や陰険でやり口もあくどいところを利用して、自己の地位を強固させる。これらの人は中共とぐるになって悪事を働き、悪者同士の通ずる気脈であり、これらの人は最悪の党徒である。

邪教コンテスト―中国共産党第一位(大紀元)

わけも判らずに党について行く人。中共は暴力と虚偽をもって家を興し、「敵人を騙す」だけでなく、自国民、国際社会、「身内」でさえ同様に騙す。多くの人は中共に騙され仲間入りさせて、今日になっても中共の虚偽の落し穴に陥って抜け出せない。これらの人は

邪教コンテスト―中国共産党第一位(大紀元)

わけも判らずに党について行く部類に属する人である。現在の中国においては、この部類に属する人は少なくなく存在している。

共産党による暴力と虚言(大紀元)

やむを得ずに党について行く人。一部の人は中共に対してその本質をある程度認識できて、中共と同道の悪人になりたくないが、やむ得ないことに入ったら出られず、従って、彼らは過せる分だけ過し、中国の現状についてはある種のやむ得ない悲観的な態度を取っている。

「党について行っていない」と片思いする人。一部の人は自分がすでに中共について、浮世に見切りをつけたほどであると思い込んでいる。共産党の政策は暫時的に自分の利益に有利である内に、「今朝有酒今朝酔(明日は明日の風が吹く)」或いは不正な手法でぼろ儲けして去って行くという心理で金銭のために手段を選べない。彼らは中共と協力して所謂窓口形式の都市建設を通して太平であるかのように飾り繕いや酔生夢死の繁華景勝を作り上げた。この景勝は西側諸国や中国人自身をも騙している。実のところ、これらの人が暫時的にぼろ儲けができる環境というものは、正に中共自身が意図的に作り上げたものである。これらの人の貪欲的、近視眼的、一夜に億万長者になって去って行くという心理も正に中共により意図的に導いた結果である。これらの人は暫時的に中共の看板として充てられたが、しかし彼らの財産は保障されず、中共は随時に一夜にして彼らを階下の囚人に変えることができる。そのため、彼らは自分の生活に関する安心感はちっとも持っていない。これらの人は自分たちが中共を翻弄していると思っているかもしれないが、実は彼らは中共によって翻弄されているところである。彼らは中共と協力して作り上げた解のない社会難題は最終的に彼らに害を及ぼし、そして彼らの身内もその害から免れないのである。

「党が自分たちについて来るように」と思う人。一部の人は中共に対して相当たる(正しい)認識を持っている。救国救民、天下に真実を明らかにしたい気持ちも十分ある。しかし彼らが選んだ道とは、共産党の内部に入り、中共の権力の中核へ上り詰め、中共の内部から改良しようと企む。多くの民衆も中国の希望を彼らに托している。しかし、これらの人は権力の中核へ上り詰める過程は、正に中共によって同化される過程である。何故ならば、中共の官界の「劣勝優敗、逆行淘汰」のメカニズムは、真の正直な政治家が「党」を掌握することが許されないからである。胡耀邦、趙紫陽が免職されたのは典型的な例ではあるまい。この点については、次の例も立証できよう。

1959~62年の間、中国は大きな大飢荒が発生した。安徽省では700万人が餓死した。安徽省のこれほど酷い災害が蒙った理由は、ただ当時の省の党委書記曾希聖が断固として「党について行った」からである。1962年、曾希聖はまた山東省の党委書記となり、その大飢荒の中で、山東省は900万人が餓死した。曾希聖の「党について行く」により数百万人の餓死者を出しため、民衆の恨みが湧き上がり、死刑になる運命に直面した。しかし、彼は毛沢東の路線方針を堅持したという理由で、毛が彼は良い人であると言い、身柄が保護され、命に別状がなかった。

曾希聖の同僚である張凱帆は、当時の安徽省の副書記であった。1959年安徽省の農村に多くの餓死者が出ていると聞き、彼は自ら無為県(村)へ調査しに行き、無為県は中国の屈指の米産地で、140万人の人口を有する大県である。当時の蕪湖市の人口はただ30万人程度である。張が調査しに行ったときはすでに90万人の餓死者が出ており、張はこの悲惨な状況を眼にして良心不安に耐えられず、公共食堂を解散させ、食料倉庫を開放させ、50万人の民衆の命を助けた。しかし、張凱帆は曾希聖の命令で逮捕され、手足に手錠を掛けられた。毛沢東は張凱帆が右傾機会主義分子であると言付けられ、20年の刑を言い渡された。

共産党員にとって言えば、彼らが直面しているのは正にこのような邪悪なメカニズムである。食糧倉庫を開放し50万人の民衆を助けた張凱帆は、民衆に「青天」(※)と称された。しかし彼は正に共産党が迫害する対象である。何故ならば、彼は党との一致を保持しなかったからである。これに対して、曾希聖は何百万人の餓死者をもたらしたにもかかわらず何の責任も取らずに済む。何故ならば、彼は党との一致を保持したからである。暦次の政治運動の中で共産党は不断と党員の党性を「訓練」し、いざ何か問題があったときに、人性の良知から物事を考えるのではなく、まず党の利益から考えるようにさせる。このように、中共の官界内で一歩一歩積み上げる過程は、同時に不断と中共の原罪の罪を背負わなければならない過程でもある。彼らはこの過程においてクロに染められたら、その運命は中共と一蓮托生の運命共同体となってしまい、このときに彼らは共産党について行きたくなくでも、思わずに党について行ってしまうのである。

更に一部の人は、党とある種のゲームをやろうとしている。所謂ある種の「合力」と言う方式で歴史の軌跡を変えようと企む。彼らの認識からすれば、歴史の発展方向と言うものは、各種の社会的「力」の「合力」によって決定されると言う。従って、彼らの自己の努力を通じて、民衆や一部の共産党員へ影響を与え、最終的に中共は妥協し、自ら運行軌跡を変え、漸次に良好な発展軌跡へ軌道に乗ることを図ろうとする。当然これらの人の初心は善良な思いであることを言うまでもないが、しかし、中共はすべての暴力機関と宣伝機関をコントロールしており、国計民生の決定権をすべて独占している。少数の人の改良の願望と努力は、中共の全国範囲内での大規模な悪政によりもたらした国への災いや民衆への損害とは比べものにならないであろう。もし現下の中共政権を断崖へ疾駆している列車に喩えとすると、車内の乗客は客室の清掃や秩序の整理整頓をするぐらいでは乗客の死の運命を変えることができるのだろうか。中国の民衆にとって言えば、もし列車の進行方向を変えることができなければ、生きるために残された道はこの列車から脱出する以外にほかにあるまい。

※:「青天」とは、清廉なお役人様を比喩する表現。

(続く)