英国バイリンガル子育て奮闘記(60)日本へ(中)日本の中のイギリス(1998年 春)

【大紀元日本11月8日】異文化拒否症の娘との関わりで疲労困憊した心を、「峠の釜飯」で癒しながら、 山村留学の見学を後にした。因みに、娘は駅弁も不気味がっていた。サンドイッチを買ったが、ポテトの入ったサンドイッチというのは受け入れられないとかで、またぐずぐずと文句を言っていた。

次の滞在先は、コーンウォール出身の同郷のイギリス人。小さいころからオランダ語と英語のバイリンガルで育ち、中学の時、日本にホームステイ。大学進学にあたって、日本語を専攻し、その後、日本でのイベントの責任者の秘書などに抜擢され、輝かしいキャリアを積んでいる人だった。

娘の一連の拒否症ぶりを説明する前から、「キッシュ作るね」と長ねぎとチーズを買物かごから取り出してくれた。駅弁よりキッシュの方が娘には馴染み深い。手作りキッシュとはありがたい。イギリス人女性の一人住まい。日本のアパートなのに、イギリス風に使っている。ガス台についている魚焼き器はトースターとして利用。トースターを余計に買う必要もなく、場所もとらない。オーブンはないので、レンジを利用していた。ついでに恐竜の卵も作ってくれた。ゆで卵にヒビを入れて、醤油を入れた熱湯にくぐらせて、茶色の模様を卵につける。なるほど、こうして醤油を利用すれば、拒否もされない。

イギリス人の目から見た日本を味合わせてもらい、娘との距離も近づいてきた。心のオアシスとはこういうことを言うのか。ちょうど滞在したころはイベントが終わり、雑多な処理に追われている時期だったようで、「ご苦労様」の飲み会も多く、オッサンの胃腸薬なども置かれていて、キャリアウーマンの大変さを垣間見る。

2泊くらいさせてもらい、次の旅先へ。今度は、コーンウォールで知り合った国際結婚の家族。イギリス人の旦那さんと日本人の奥さんで子供が三人。長男が家の娘と同い年で、バイリンガル子育てに関して情報交換などをしていた。

この家は、田んぼの真ん中の洋館だった。朝はコーンフレーク。夕食も我々のために洋食にしてくれた。ご主人が食べたいらしい。せっかく遠くからいらしたのだからワインを、と開けてくれたが、床下の倉庫で日本の夏を越したせいか、酸っぱくなっていた。やはり気候が違う…ご主人の落胆した顔を今でも覚えている。

日本のパンは好きでないとかで、奥さんがパン焼き器で毎朝パンを焼いていた。日本人が英国の田舎で日本米にこだわるのと同じことだろう。

子供たちは、親のことは「ダディー」「お母さん」と呼んでいた。お父さんには英語、お母さんには日本語だけど、どうやって英語力をつなげるか、というのが悩みの種で、いろいろ話し合った。

娘の方はこの滞在を通して、「ダディー」っていう言い方、日本語じゃないよね、と意識し始めていた。ところが、 当時離婚宣言した郷ひろみが『ダディー』という本を出版したところで、本屋に山積みになっていた。「いいんだよ、ダディーで」と言い聞かせ、娘の異文化拒否症を受け入れつつある自分に気が付いた。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。