「学校で零点を取れ」 私の人生を変えた父

私は高校生の時、受験勉強で大変苦しみました。そんな私の心をいつも励ましてくれたのが、ユニークで優しい文章を書く台湾人作家の劉墉(りゅう・よん)氏でした。劉氏の文章は、台湾の中学校の教科書に載るほど有名です。若者が彼の文章を読むと安らぎが得られ、元気が出るからなのでしょう。当時、劉氏は博士号を取得するために米コロンビア大学の大学院で勉強中でした。卒業後、劉氏は台湾に帰国して著名な作家となり、また画家としても活躍しました。

 後に、劉氏は一家3人で再び渡米しました。息子の劉軒(りゅう・せん)氏はハーバード大学の修士号を取得し、ボストンCitSepの音楽指導とケンブリッジWllRBDテレビ制作の司会者兼作家となりました。このことは、たまたまウェブで彼の記事を目にして知りました。優秀でユニークな発想を持つ劉墉氏は、父親になっても昔と変わっていませんでした。むずかしい反抗期の息子を勉強させるために、彼は奇想天外な作戦を実行したのです。息子の劉軒氏が、父親との戦いの日々を楽しく綴っています。
 

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文・劉軒

 僕は小学校を卒業する前に、家族と一緒に米国へ行きました。中学校に入ってから反抗期が始まり、勉強は嫌いで学校ではいたずらばかりしていました。先生たちは私の振る舞いに頭を痛め、私は完ぺきな劣等生でした。一方、当時の僕はミハエル・シューマッハに憧れていて、F1レースのカーレーサーになる夢を見ていました。

 その頃、自分の成績は一番下の「C」ランクから良くなることはなく、先生たちは皆僕にお手上げでした。中学校2年生になると、父も我慢の限界に達したようで、私となんとか「対話」をしようとしました。僕は親の説教なんか聞きたくない、と嫌な気持ちでした。今でも覚えていますが、その時、父は先ず僕に向かって、意味深長な笑みを浮かべました。その笑みはとても陰険で何かを企んでいるようでした。

 父は、「先生から、君は毎日シューマッハみたいな選手になることばかり考えて、勉強をまったくしていないと聞いているが、本当かい?」と聞いてきました。僕は、「そうです」と答えました。

 父の言葉は、なぜか僕を見下しているように聞こえました。これは、14歳の少年にとって最大の侮辱に感じたのです。父には、「シューマッハは僕が目指すヒーローですが、彼が僕と同い年のとき、学校の成績は悪かったようです。試験では零点まで取ったことがあると聞きました。それにもかかわらず、彼は今、世界トップの選手になっています」とわざと挑発するような返事をしました。

 すると、父は突然笑い出しました。その笑いはとても不気味でした。「彼は零点を取って、世界の有名選手になったけど、君は一度も零点を取ったことがないだろう。君は毎回『C』しか取っていないじゃないか」と父は言いながら、僕の成績表を目の前に振りかざしました。

 僕はハッとしました。まさか、父が零点も取れないといって僕を嘲笑するとは思ってもいなかったのです。僕は、悔しくてたまりませんでした。「僕に零点を取って欲しいとでもいうのですか?」と僕は聞き返しました。父は椅子の背にもたれ、リラックスした様子で「それはとてもいい考えだね。よし、それに賭けよう。もし君が零点を取ったら、学業に関してはそれ以後、君の好きなようにしていい。私は一切干渉しない。しかし、零点が取れるまでは、私の管理と指示に従って勉強するべきだ。これでどうだね?」と条件を提示してきました。その時僕は、本当に世界一滑稽で、面白く愚かな父親を持ったものだと心の中で笑いが止まりませんでした。

 

 「しかし、試験で零点を取るということだから、試験のルールに従わなければならない。即ち、全ての質問に答えなければならないし白紙の提出も駄目だ。勿論、試験に参加しないこともルール違反だ。これでいいかい?」と父が確認してきました。こんなに簡単なことは、勿論問題ありません。僕は思わず、心の中でやったー!と叫びました。僕は、「問題ありません」と即答しました。

 そして、試験がやってきました。僕は正解を知っている問題に、すべて不正解の回答を書き込みました。しかし、後半になると正解が分からなくなるほど問題が難しくなって来ました。用紙を空白にしてはならないということなので、結局、これまでと同様に僕は適当に回答を埋めました。

 教室を出たときに、僕は自分の手に汗をかいていました。零点を取るのも難しいものだと感じました。適当に回答を埋めても、零点は取れないかもしれない、と少し不安になりました。

 そして、試験の結果が出ました。僕が期待していた「零点」ではなく、またも「C」でした。僕が成績表を父に渡すと、「君は零点を取れなかった。約束通り、私の管理と指示に従うね」と言われました。僕は顔を下に向けたまま、情けない自分を責めました。そして、父から「A」が取れるよう勉強せよという最悪の指示に従う心の準備をしました。

 父はまじめな顔で、「これから、君に一日も早く零点が取れるように指示をしよう。零点が取れた日、君は自由になれるんだからね」と言いました。それを聞いて、僕は自分の耳が変になったのか、それとも父の頭がおかしくなったのかと思いました。父は僕に「A」を取らせるための絶好のチャンスを逃したのです。

 「零点」と「A」を比べたら、やはり「零点」の方が僕にとって取りやすい。僕は、またも自由になれる希望の光が見えました。

 そして、次の試験がやってきました。残念ながら、結果はまたも「C」でした。そして、その次も、その次も・・・僕は「零点」を取ることに向かって突き進みました。一日も早く零点が取れるように僕はいつしか勉強を始めました。そして、試験問題に対する不正解の回答をますます把握できるようになりました。言い換えれば、僕は問題の正しい答えが分かるようになり、そのために勉強をする機会が多くなっていったのです。

 1年後、僕はとうとう「零点」を取ることに成功しました。

 その日、とても喜んだ父は自らの腕を奮ってご馳走を用意し、グラスを手に取って「おめでとう、君はやっと零点が取れたね」と僕にお祝いの言葉を贈り、ウインクまでしてきました。「Aを取れる学生だけが零点を取れるんだよ。この理屈を君は分かったかな?実は、これが最初から僕の計画だったんだ。君は私に騙されたんだよ。ワハハハ・・・」と、その時、父は勝ち誇った笑顔を僕に見せたのでした。

 父の言う通りです。僕はすっかり父にだまされたのです。

 

 (翻訳編集・曲豆)