英国バイリンガル子育て奮闘記(79)フランスにあるストーンヘンジの村(1999年夏)

【大紀元日本3月21日】英国のコーンウォール州と隣のデボン州とのほぼ境のところにプリマスという港がある。アメリカへの移民が乗船したメイフラワー号が出たところと昔、歴史の授業で学んだように記憶していたが、行って見ると、特に「メイフラワー饅頭」があるわけでもなかった。第二次世界大戦中に空襲で焼け野原となったため、主要道路は新たに整備され、碁盤の目のようにショッピング街が開かれている。 このプリマスからフランスのブリタニー地方行きのフェリーが出ている。

ある夏、フェリーに乗ってフランスに渡った。飛行機を利用する海外旅行は、空港から空港へと人混みが避けられないが、フェリーの場合、田舎の港町から別の田舎の港町へと、さりげなく着いてしまう。外国に行ったぞという構えがなく、フランスに入ってしまった。

コーンウォール州とブリタニー地方は、地質学的に地続きだった時期があったようで、散策しながら、わが家の近くを歩いているような感覚があることに驚いてしまった。建物がグレーの花崗岩でできており、海岸にも花崗岩がごつごつしていて、コーンウォールとよく似ていた。草花や貝殻、そして地名も似通っており、ケルトの血のようなものを感じた。

歴史の過程を踏んで、片方の土地はアングロサクソン系の英語圏となり、片方の土地はラテン系のフランス語圏となってしまったため、言葉こそ通じないが、同胞に出逢った感じだった。

細長い半島の最南端にあるキベロンというところに滞在したのだが、滞在中、そこから自動車で、巨大な石が並ぶカーナックというところを訪れた。コーンウォールの南西部には、ミニチュア版のストーンヘンジのような石群が野原のあちこちにみられる。

コーンウォールの石と違って、カーナックでは石が数倍大きい。人の背丈の何倍もあるような巨石が、一面に並んでいた。有史以前の巨石が3000個ほど立ち並んでいるらしい。紀元前4500年から2000年ころのものとされており、ケルト民族以前の人々が立てたということだ。いったい誰がどうやって立てたのだろうか。一面の石と石の間を切り開くようにして、道ができたりしていた。巨人の街に人間が住み着いているといった感じだ。

自分の小ささ、現代文明のもろさに気付かされた旅だった。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。